あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

今日は何の日?レヴュー版(2月26日)

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 昨年のこの日、帝国陸軍青年将校らによるクーデター未遂事件、いわゆる「2.26事件」の背景について私見を述べました。 

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 この事件の研究者でもない私が書いたものなど、何の価値もありませんが、どうにも腑に落ちないところがあったものですから、事件の背景について私なりのイメージを紹介させていただいたのです。

 この事件は、私に「国を思うとはどういうことか」を考えさせます。

 当時、国政に対する大きな影響力を持っていた帝国陸軍の内部では、天皇制の下、ソ連型の統制経済により高度の国防国家建設を目指す統制派と、天皇を中心とする平等な社会を夢想する皇道派の対立があったとされています。

 でも、よく見れば、その主張はいずれも「天皇制の護持」と「資本主義の否定」であり、基本的に大きな違いはなかったのではないでしょうか。

 国が国民に対し負っている責任を突き詰めれば、「国家の生存と繁栄」に尽きると私は思いますが、統制派は「国家の生存」に、また皇道派は平等な「繁栄」に軸足を置いて、それぞれの立場で真剣に国を思っていたのだと思います。

 だからこそ考えさせられるのです。「国を思うとはどういうことか」と。

 自分が生まれ育った国土や社会、歴史に愛着と誇りを持ち、その安寧と子々孫々までの繁栄を願うのは、それを「愛国心」と称するかどうかは別段、ごく自然な心の作用だと思います。

 でも、それを実践する方法論は実に様々です。それは、どんな物事にも多面性があり、どの局面を重視するかによって「正しい」方法が異なるからに他なりません。

 そして、そんなことは誰だってわかっている筈です。

 ところが、それぞれの「正しい」方法論の支持者が、これを「真剣に」追求すると、「正義は我にあり」となり、他の方法論への極度の不寛容、つまり原理主義化して行きます。

 特に日本人は「決めたからには必ずやるさ。やるからにはとことんやるさ。」という国民性だと揶揄されるほど、その傾向が強いような気がします。

 私が敬愛する故・山本七平先生は、その著書の中で、それを空気による支配だとし、一度出来上がった空気に、なぜ日本人は抗えないのかを分析しています。大変興味深い 一冊ですので、ご一読をお勧めします。

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  国を思うことは大切です。非常に大切なことだと思います。でも、真剣に思うあまり空気に支配され、空気の決定により国を誤るのでは意味がありません。どんな考え方にも一理はあるのです。自分は原理主義に陥っていないだろうかと、度々自省することも国を思うことと同じくらい大切なことだと思います。

 さて、2.26事件では、直ちに断固たる措置を講ぜず、蹶起部隊の要求を上奏するなど、彼らを英雄視する空気が帝国陸軍内に出来上がりつつあった時、これに「水」を差して正気を取り戻させたのが先帝陛下(昭和天皇)です。

 「陸軍がやれぬというのであれば、朕自ら近衛師団を率いてこれを鎮圧する」

 この決然としたお言葉で、事態は一気に収拾へと向かいます。

 結局、誰よりも国を思っておられたのが先帝陛下であったということです。鍛え抜かれた名君であらせられたと思わずにはいられません。