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海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

コロール

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 我が練習艦隊は昨日(2019年10月8日(火))、パラオ共和国のコロールに入港したものと思われます。日本との時差はついになくなりました。美しい珊瑚の島です。

 ただ、下の航空写真で見てもわかる通り、練習艦隊の両艦が横付けできそうな水深と埠頭長を備えた場所がほとんどありません。「West Plaza Coral Reef」ホテルの桟橋かなーと思ったりしますが、わかりません。

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 パラオは、その昔スペインによって植民地化され、その後これを買い取ったドイツの植民地となりました。第一次世界大戦日英同盟に基づきドイツに対し宣戦布告した我が国はドイツ支配下にあったパラオに海軍部隊を差し向け、瞬く間にドイツの兵力を駆逐してこれを占領しました。戦後、パリ講和会議によりパラオは日本の委任統治領となり、以後、我が国が大東亜戦争に破れるまでの約30年に渡り、日本統治時代が続きました。

 日本による統治時代が、スペイン、ドイツによる植民地時代と大きく異なるのは、パラオの社会インフラの建設や教育制度作りに注力したことです。戦前の我が国は、決して豊かな国ではありませんでしたが、新たに我が国の施政権下に入った地域に対し、例外なく、その社会水準を本国並みに引き上げるため、莫大な国力を投じました。そのため本国経済が疲弊したほどです。

 当時の列強の中で、支配地域から搾取するのではなく、その社会を充実させるために、自国民に耐乏生活を強いる国など、我が国を置いて他にはなかったでしょう。そのような政策を進めたことによる、殊に農村部の窮乏が「2・26事件」の遠因を為したのかもしれません。

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 そうまでして自分たちの社会の充実に心血を注いでくれていることは、現地の方々にも伝わっていたのではないかと思います。

 戦後、日本の統治下にあった「外地」は、全て日本から切り離され、台湾では大陸を追われた国民党により、またパラオでは米国により、徹底した反日教育が行われましたが、それでもなお、日本統治時代に対する強い支持を消し去ることはできませんでした。

 私は、戦前の日本も、戦後の日本も、全て肯定するつもりはありません。いいこともあれば悪いこともある。当たり前のことでしょう。それでも、日本時代を懐かしみ、未だに親日感情の強い両国を見るにつけ、日本による統治は、基本的に現地の人々の心に沿ったものだったということが言えるのではないかと思います。

 そして、徹底した反日教育の最中にあっても、その真実を絶やすことなく代々語り継いで来たからこそ、両国は日本による統治を経たにも関わらず大変な親日国なのだと思います。人間同士の関係も、国と国の関係も基本的には同じでしょう。誠意に応えてくれるのは、やはり誠意です。もちろん例外はあるでしょうけど。

 ところで、パラオ共和国の国旗は、我が国の日の丸に似ていることや、パラオ親日国であることから、日の丸の意匠を借りたものではないかとの説も流布していますが、このデザインを考案された方にそのような意識は全くなかったそうです。風説というのはあてにならないものですね(╹◡╹)

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 練習艦隊が寄港しているコロールは、もともとパラオ共和国の首都でしたが、その役目を、隣接するバベルダオブ島マルキョクに譲り、現在は同国経済の中心都市となっています。ですから、コロール島バベルダオブ島を結ぶ橋は、同国の命脈とも言えるものです。単なる橋ではありません。水道、電力、通信ケーブルなど、重要なライフラインがこの橋を経由してマルキョクとコロールを結んでいるのです。

 コロール(Korol)とバベルダオブ(Babeldaob)を結ぶことから、通称「K-Bブリッジ」と呼ばれるこの重要インフラは、1977年に韓国のSOCIOという建設会社が建設しましたが、落成直後から陥没が始まり、度重なる補修・補強工事も虚しく、1996年9月、わずか20年を経ることもなく崩落してしまいました。

 当時はまだ首都であったコロールが完全にその機能を失ってしまったわけですから、大統領が国家非常事態を宣言したのも頷けます。とりあえずの応急措置は、各国からの支援を受けて直ちに行われ、最低限のライフラインは復活しましたが、橋そのものの復旧が重要課題でした。

 入札時、鹿島建設の半額という、常識的には考えられない札を入れていたことから、重大な手抜き工事が疑われましたが、すでにその会社は解散していたため、パラオ共和国は損害賠償を求める途も絶たれ、自国資金による再建を断念せざるを得ませんでした。このような状況に鑑み、翌1997年、我が国は無償援助によりこの橋を再建することを決め、因縁の鹿島建設が建設に当たることとなりました。

日本・パラオ友好の橋

 2002年に竣工した新しい「K-Bブリッジ」は、「日本・パラオ友好の橋」と名付けられ、両国の友好関係を象徴するランドマークとなっています。

 このような事業を、我が国は世界中で行ってきましたし、どこでもそれは歓迎されてきました。もちろん、日本の金銭的な支援と、建設技術が高く評価されているのは確かでしょうけれど、何にも増して絶大な信頼を得ているのが「誠意」ある仕事ぶりなのではないでしょうか。

 

 ちょっと、橋の話題が長くなってしまいました(≧∀≦)

 そんなパラオでの練習艦隊の予定は、まだほとんど見つかってませんが、在パラオ日本国大使館のフェイスブックには、演奏会の予定が載っていました。

 本日(2019年10月9日(水))1800~2000 コロール市内のガラマヨン文化センターにおいて、日・パラオ外交関係樹立25周年記念式典が行われ、練習艦隊音楽隊によるコンサートの他、練習艦隊「祥瑞太鼓」の演奏や空手の演舞などが予定されているとのことです。

 また、艦上レセプションでは、もちろん三宅由佳莉さんがパラオ共和国の国歌と君が代を独唱されることになります。パラオ共和国の国歌、こんな感じで三宅さんが歌われるわけですね。

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 ここでも、動画や写真がたくさん見つかるといいですね(╹◡╹)