あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

三宅由佳莉さんの夢

 さて、今回は三宅由佳莉さんの夢について書いて見たいと思います。

 三宅由佳莉さんは、遠洋練習航海に参加するという長年の夢をついに実現しましたね、次の夢は東京オリンピックの開会式での国歌独唱か…とか、そういう話ではないんです。

f:id:RetCapt1501:20190803231134j:plain

 驚いたことに、この私が、三宅由佳莉さんの夢を見たのです。もちろん睡眠中に見るあの夢のことです。

 何故「驚いたことに」なのかと言いますと、私は異常に寝つきが良く、ほぼ横になった瞬間に深い眠りに落ちますし、3〜4時間ほどで目が覚めますので、夢というものを見る習慣がないんです(習慣で見るものではありませんが(≧∀≦))。

 それが、昨夜はどうした塩梅か、長ーい夢を見ました。しかも途中で2回ほど目が覚めたのですが、夢はずっと続いていました。

 年に1〜2回とはいえ、もちろん、これまでに夢を見たことは何度もありますが、どんなに印象的な夢でも、大抵目が覚めた瞬間にほとんど記憶から消えてしまい、楽しかった、怖かった、悲しかったという感情の余韻と、特に印象に残る場面だけがカラフルな残像として残っているだけです。そして、夢を見ている時には全ての辻褄があっていたはずなのに、目が覚めた途端、何のことやら全く意味不明で、かすかに残っている記憶を辿っても、他人に説明するのはほぼ不可能… 皆さんもそうではありませんか? 私だけかな…

 ですから、昨夜見た長い夢も、言葉に落として細かく説明することはできないのですけれど、私の中に残った感情の余韻は、全般には楽しいのですが、微かな心の痛みを伴うものでした。

 何故か私と三宅さんは同じ職場の同僚で、私の今の職場の上司がボスでした。そういう設定になっていたことは記憶にあるのですが、細かいことはわかりません。

 重要なのは、そこで接する三宅さんは、私たちが良く知る彼女とはかなり違う人だったということです。あ、悪い意味ではありません。いつもちょっと弾けているというか、コロコロ良く笑いますし、他人の話に絶妙なツッコミを入れてみんなを大笑いさせたり、そんな人でした。夢の中の私は、彼女がそういうキャラであることを当然のように受け止めていたと思います。歌手であったかどうかは覚えていませんが、仕事以外に何か活動をしていたようです。あるシーンが鮮やかな色彩とともに印象に残っています。おそらく会社の入り口で、ノックかチャイムかが聞こえたのでドアを開けてみると、両手で抱えた膝の上に頭を乗せて座り込んでいる彼女がいました。そして何かを呟いたのです。私の心に残る微かな痛みは、この時に感じたものに違いありません。

 私は夢について勉強したこともありませんし、自分の夢をあれこれ分析したこともありません(というか、殆ど見ない(≧∀≦))。でも、何故こんな夢を見たのかについては、思い当たるフシがあるのです。

 このブログを始めて半年くらいは、三宅由佳莉さんに関する記事を書き進める一方で、このブログの意味やファンとしてのスタンスなど、いろんなことに悩み自問することを繰り返していました。そして、そんな葛藤をも記事として吐露し、自らの心を整理しながら進んで来たのでした。多くの方からいただいた励ましのコメントにも本当に助けられました。

 昨年4月に書いた「三宅由佳莉さんのことを『書く』ということ」という記事で、「もう迷いはありません」と宣言し、以後、我が道を行けば良いというスタンスでやって来ました。

retcapt1501.hatenablog.com

 でも、本当は迷いや悩みが尽きることはなかったんです。

 特に大きいのは、昨年の秋以降、東京音楽隊の何人かの方がこのブログをお読みになっていることがわかって来たことです。東郷の杜で、赤嵜尚子さんから最初にお聞きした時は衝撃でした。もちろん大変に光栄なことではあるのですが、同時に畏れ多いことでもあり、爾来、かつての迷いとは別の観点で色々と考えさせられました。三宅由佳莉さんがこのブログをお読みになっている可能性も、ないわけではないと思えたからです。

retcapt1501.hatenablog.com

 このブログは、三宅由佳莉さん以外の隊員の方々から私が感じ取った素晴らしさについても書き綴ってきましたが、やはり三宅さんのことを書いた記事が圧倒的です。それらの中で、私は無邪気にも、ただただ応援するつもりで、その素晴らしさを賞賛し続けてきました。

 でも、仮に三宅由佳莉さんがお読みになった場合、どう感じるでしょう。励みになる面も確かにあるかも知れませんが、きっと、作り上げられたイメージを裏切らないよう最大限の努力をされるに違いありません。私の新たな迷いとは、「応援するつもりで書いていることが、彼女を追い詰めてはいないだろうか」というものでした。

 とは言え、ネット上には三宅由佳莉さんを賞賛する記事がそれこそ星の数ほどもあるのですから、私が迷ったところでどうなるものでもないと、正面から向き合うことなく過ごして来たのですが、もう限界に来ていたということだと思います。まさかの「夢」という形で自分自身から突きつけられたわけです。

 夢の中での弾けた感じの三宅さんは、高校、大学の同級生の皆さんがちらっと呟いたりした内容から、知らず知らずのうちに私の中で勝手にイメージされた「素の姿」なのだと思います。妙にリアルな夢でしたので、素の三宅さんは本当にこんな感じなのかも、と本気で思いました。そんな風に自分を解放していて欲しいという私の願望なのかも知れません。

 夢を見たことで、このブログのスタンスを大きく変えるつもりはありませんが、いつも迷いと自問を繰り返しながら、このブログを、そして私自身を成長させていければと思いました。

 最後に夢のことをもう少し…

 ドアの外で膝を抱えていた三宅さんは、私の迷いと恐れの象徴だったのでしょう。

 彼女はこう呟いたんです「これ以上私を苦しめないで」