あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

初心忘るべからず

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 唐突ですが…

 室町時代を一言で言い表すなら「乱世」でしょう。

 南北朝の戦乱の中で産声を上げた室町幕府が戦国時代に飲み込まれていくまでの二百年間は、中央政権が十分な求心力を保ち得なかったこともあり、やがて戦国武将となっていく多くの有力者が各地に力を蓄え、また村々では土一揆が横行するなど、政治的には大変不安定な時代であったろうと思われます。京都の街を焼き尽くした「応仁の乱」が起きたのもこの時代です。

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 それでも、私にはこの時代がとても魅力的に感じられるのです。

 政治的な不安定性が既存秩序の枠にとらわれない人的交流を促したためなのでしょうか、芸能・文化が実にダイナミックな展開を遂げた時代でもあるからです。現在に伝わる「生け花」、「茶の湯」、「猿楽(能)」、「水墨画」、「日本庭園」など、およそ日本的と思われる芸能・文化の大半はこの時代に成立したものです。 

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 現在の私たちの生活様式や慣習の多くは、三百年にわたる徳川の治世にその淵源を求めることができるのではないかと思われますが、日本人としてのアイデンティティーが基礎付けられたのは室町時代なのではないでしょうか。

 今回のタイトル「初心忘るべからず」は、ご案内のとおり、父観阿弥とともに「猿楽(能)」を大成した室町時代初期の猿楽師・世阿弥の言葉です。

 間も無く新年度を迎えますが、入社式や入学式などでの式辞や祝辞に引用されることも多いこの言葉は、入社・入学した時の感激ややる気を忘れることなく精進してほしいという意味合いで使われています。

 ところが、世阿弥がこの言葉に込めた意味はそういうことではないようなのです。

 自分が未熟だった頃の芸風を自分の中にちゃんと残しておけと世阿弥は言います。円熟の域に到達しながらも、「初心」芸を加味することで、観るものに新鮮な驚きを与えることができるのだと。もちろん、それは元々の「初心」とは異なり、当時の自分の至らなさを十分自覚した上で、一つの高みに達した「初心」ということです。このように「初心忘るべからず」は、時々に「初心」に回帰しながら螺旋階段をのぼるように芸に磨きをかけていきなさいという芸能指南のキャッチフレーズだったわけです。

 なぜ唐突にこんな話を始めたのか不思議に思われるかもしれませんね。

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 以前から色々な記事で、三宅由佳莉さんはイメージを特定するのが難しいという話を書いて来ました。東京音楽隊の演奏会や、数ある動画を拝見していますと、曲によってあるいはステージによって、三宅さんの放つ印象の差がとても大きくて、なかなか一人の歌手のイメージとして統合できないのです。表現力の幅が広いと言えばそれまでですが、果たしてそれだけなのだろうかと常々考えていました。

 そんな折、ふと思い出したのが「初心忘るべからず」だったのです。

 三宅由佳莉さんは、常に新しい曲、新しいジャンルに挑戦を続けていらっしゃいますよね。もちろん任務のために、ありとあらゆるジャンルを開拓していかなければならないと言う面は確かにあります。それでも、すでにベテランの域に達しつつあり、確固たるステータスもお持ちの三宅さんには豊富なレパートリーがあるのですから、実績のある曲だけを歌っても十分に任務を果たすことが出来そうなものです。敢えてリスクを背負ってまで新しい曲、新しいジャンルに挑戦し続けるのは何故なのか。

 恐らく、「上手く歌えないかも知れない」という恐怖心を克服して、今できる精一杯を表現しようとする「一生懸命さ」こそが、ご自分の持ち味であり、聴く者を「はっ」とさせる力の源であると考えておられるのではないでしょうか。それこそ、世阿弥の言う「初心」であり、その時々の「初心」の蓄積がまた、定番楽曲にも深みを与え、まさに螺旋階段をのぼるように、歌唱に磨きがかけられ続けているのだと思います。

 三宅由佳莉さんが「風姿花伝」を研究しているという話は聞きませんので、ご自分の直感で「初心忘るべからず」を実践されているということなのでしょう。

 ある意味、三宅由佳莉さんは思想家なんだと思います。その思想を書物に著す訳ではありませんが、直感で閃いた思想がご自分の中ではきちんと整理されていて、あとはそれを信じてブレることなく実践し続ける。実践型の思想家とでも言いましょうか、そういう方なんだと思います。

 そしてそれは、歌唱に止まらず、彼女の生き方全般に言えることでしょう。

 「顔晴る明日へ」というキャッチフレーズが、その思想を実に端的にあらわしているような気がします。