あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

国を思うて何が悪い

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 今回のタイトル、見たことがあるという方も少なくないかも知れませんね。

 これは、阿川弘之さんの著書のタイトルですが、この記事は読書シリーズではありません。昨日、この記事を書こうと思ったときに、私の口から出たのが「国を思うて何が悪い」だったのです。

 もちろん、阿川さんの著書タイトルが頭の中にあるから出てきたのですが、わずか8文字のこのタイトルが、私の心を捉えて離さないのは、理不尽さに対する義憤を裡に抑えつつも、揺るぎない信念をもって自明の理を説かんとする、凛とした孤高の佇まいを想起させる、美しい響があるからだと思います。

 

 さて、この話題を書こうと思ったきっかけは、意外に思われるかも知れませんが、三宅由佳莉さんが歌う、滝廉太郎の「花」でした。

 実は、今準備している別の企画のために、以前紹介したことのある「大沢悠里の ゆうゆうワイド」というラジオプログラムで生演奏された「花」を、単曲の動画仕立てで一昨日、YouTubeにアップしたのですが、ゆっくり鑑賞していなかったので、昨日改めて再生してみました。

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 太田沙和子さんの軽快なピアノ伴奏にのって流れる三宅由佳莉さんの伸びやかな歌声からは、うららかな春の陽射しを浴びながら、浮き立つ心で岸辺に歩を進める喜びが溢れています。

 だからこそ、戸惑いました。この曲を聴きながら不覚にも目から溢れ出た涙の訳がわからなかったからです。

 でも、感じていたのは「日本人に生まれてよかった」ということでした。

 三宅由佳莉さんの「花」を聴いていると、とてもストレートに、日本人であることが誇らしく思え、自分がこの国を愛しているんだということを強く実感できるような気がします。

 この国では、先の大戦に敗れて以来、「愛国心」という言葉が忌み嫌われ、誰がみても素直に日本の国旗・国歌であるはずの「日の丸」「君が代」が意図的に学校教育の現場から遠ざけられるという状態が長く続いていました。

 私たちの世代は、そんな風潮の中にあっても、親や教師が戦前にしっかり教育を受けていたおかげで、いびつな思想の影響をあまり受けずに済みました。

 卒業式などの式典の際には演壇に国旗が掲げられ、当然のごとく君が代の斉唱を大きな声で行っていました。

 ところが、いつの間にか学校から国旗や君が代が消え、式典での国旗の掲示君が代の斉唱を促す指示に対しては、「法的根拠がない」という理由で従わないという状態に陥りました。

 そのような信じられない状態を回復するため、平成11年に「国旗及び国歌に関する法律」が定められましたが、私はとても悲しく感じました。多くの日本人が、当然のごとく日の丸を国旗、君が代を国歌と認識しているにも関わらず、ごく一部の頭でっかちな人々の愚にもつかない主張に対抗するため、わざわざこんな法律を作らねばならないことへの悲しみであり、そのような国の有り様への恥ずかしさでもありました。

 この法律の制定により、今度は「法的根拠がない」という主張に根拠がなくなりましたが、次に主張されたのが「良心の自由」です。たとえ法的根拠があっても、国旗に敬意を示し、国歌を歌うことを「強制」することはできないという訳です。

 そして現場で行われたのが、「良心の自由が認められているのだから、歌わなくても良い」という形での「歌わない」ことの「強制」です。

 私が退官する数年前、部下の一人から聞いた話ですが、自分の子供達は「君が代」を聞いたことがないと言うのです。そんな馬鹿なと思いましたが、未だにそんな状態が続いていることに、どうしようもない無力感を覚えました。

 「愛国心」に関する論議を見ても、「愛国心」という言葉はけしからんから「国を愛する心」と呼んではどうか、とか、そもそも国とは法人であって、法人を愛するのは不自然だ、など、議論する価値がどこにあるのかわからないようなことに無駄な時間を費やしてきたのが我が国です。

 本当に、頭でっかちな人間ばかりになってしまったな。日本の国籍を持っていても、日本人の心を失った者を「日本人」と呼べるのか。

 私は素直に思います。

「国を思うて何が悪い」