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使命の自覚(三宅由佳莉さんの,,,シリーズ番外編)

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 本題に入る前に、東京音楽隊のコンサート情報の一部追加があります。

 先回「三宅由佳莉さんの最近の動向(18−08)」で、「応募方法のみ掲載され、何時からどこで行われるのかについての情報が一切ないという、なんとも奇怪なイベント」としてご紹介した7月20日(金)の姫路公演ですが、東京音楽隊のホームページ上で時刻と場所が開示されましたので、記しておきます。

 時刻: 17:30開場 18:30開演
 場所: 姫路市文化センター大ホール(兵庫県姫路市

三宅由佳莉さんの当面の予定と今年の注目点(2)」の方には、昨日「Update-07」で追記済みです。

retcapt1501.hatenablog.com

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 本題です。

 今回のタイトル ”使命の自覚”  は、「自衛官の心構え」の筆頭項目です。

 自衛官の心構えとは、公私の別なく、自衛官として人生を歩むにあたり、指針となるべきものです。具体的には以下の5つの項目なのですが、新入隊員は、これらを頭に叩き込むため各項目の頭文字をとって「シコセキ団」と唱えています。まずは形からという訳です。

 それぞれの意味するところは、下のリンクから資料(防衛白書)をご覧ください。

自衛官の心構え資料58 自衛官の心がまえ)〜

 1 使命の自覚

 2 個人の充実

 3 責任の遂行

 4 規律の厳守

 5 団結の強化

 これらは、自衛隊員が入隊時に行う「服務の宣誓」の内容を「心構え」として噛み砕いたものでもあります。因みに、宣誓は入隊時に行いますが、10年ほど前から、昇任の都度、所属長の前で改めて読み上げ、自らの宣誓内容を再確認するようになっています。

自衛隊員の服務の宣誓

 「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

 そして、服務の宣誓の根拠は、自衛隊法にあります。 

自衛隊法第52条(服務の本旨)

 隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身きたえ、技能をみがき、強い責任感をもって専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを期するものとする。

自衛隊法第53条(服務の宣誓)
 隊員は、防衛省令で定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。

 

 このように、自衛隊員は、その生き方を法律で規定されている訳ですが、入隊時、服務の宣誓書に署名捺印する際に迷いを振り切って娑婆との結界を超えるのです。

 さて、お気づきでしょうか、「自衛官の心構え」から話は始まりましたが、服務の宣誓以降は「自衛隊員の〜」となってますよね。

 自衛官自衛隊員、何が違うのでしょうか。

 自衛隊とは、防衛大臣以下防衛省に属する全ての組織をさします。防衛大臣自衛隊の一部です。ですから、防衛大臣の指揮下にある防衛事務次官以下の全ての職員が自衛隊員という訳です。そして、自衛隊員のうち、制服(軍服)を着用している者を自衛官と呼ぶのです。

 従いまして、「事に臨んでは危険を顧みず〜」は防衛省に勤務する事務官の皆様も入省時に宣誓していることなのです。

 とはいえ、実際に命に関わる苛烈な環境におかれるのは、事実上自衛官に限られますので、自衛官については、宣誓のみならず、「心構え」を徹底し、平素からその覚悟を促していく必要があるという訳です。

 そうです。三宅由佳莉さんはじめ、音楽隊の皆さんも、法律で定められた自衛隊員としての生き方を、自衛官の心構えをもって主体的に実践されているのです。

 

 くどくど書いてきましたが、以上が今回の記事の「まくら」です。

 「えー、まだ続くのかよ」 そう言わずに、もう少しだけお付き合いください。

 

 今回、「使命の自覚」という記事を書こうと思ったのは、一昨日、「1」さんから頂いたコメント

三宅さんに癒され、助けられ、生き残り、ファンとなられた方々は、皆、独自の観点から、様々な魅力を発見されていると思います。
ただ、それを言葉にするのがとても難しいのです。筆が立つかぴたんさんは、果敢に挑戦されているわけで、こういう方がいてくれると思うと、とても嬉しく、ほっとできるんです。

 を読んで、あれこれ考えているなか、今朝初めて頂いた「Rin」さんからのコメント

こんな素晴らしい女性が日本にいるんだと自慢?したい欲求を満たしてくれているのがこのブログです。ありがとうございます(^^)

 で、「はっ」と気づいたことがあったからです。

 それは、今までも「ゆきかぜ」さん、「バリピル」さん、「toikimi」さん、「navy171」さん、「johsan」さん、「faisan」さん、「海自」さん、「りくさん」さん、「MYT」さん、「s.k.」さん、「marionette3」さん、「すぎ」さん、「kaiten91」さん、「ajino64」さん、「kanotkashi」さんなど、三宅由佳莉さんのファンの皆様から暗示的、場合によっては限りなく明示的に近い形で示唆されていたにも関わらず、私に読み取る力がなかったため、十分認識し得ていなかったことであることも含めてです。

 

 私は「1」さんが仰るような「筆が立つ」人間ではありませんが、こと、三宅由佳莉さんのことに関しては、十分内省しながら書くように務めています。自分の思いをいかに正確に言葉に落とすかということに心血を注いではいます。

 今までは、そうやって表現した記事に、皆様が共感してくださることが、ただ嬉しいという気持ちでおりました。遅れ馳せ組の私も、皆さんと同じように感じることができているんだな、ということが確認できたからです。

 ところが「1」さんのコメントで、多くの方が、三宅由佳莉さんから受けた感動をうまく言葉にできずにストレスを抱えておられるのではないかと思い、さらに「Rin」さんのコメントで、私の書く記事によって、そんなストレスが解消できている、という方が少なからずおられるのだということに気づいたのです。

 であるならば、このブログで私が三宅由佳莉さんのことを書くということは、私が考えていた個人的な幸福感を超えた意味があるのではないか。

 三宅由佳莉さんや東京音楽隊の素晴らしさを強く感じているにも関わらず、彼らが正当に評価されているという具体的な表象を欠くため、不安と不満が胸中を去来する多くの方々にとって、私の書く記事がカタルシスの役割を果たしているのではないか。

 つまり、これは、私の使命なのではないか。

 

 自分を背負うつもりはありませんが、記事を書くことについて、使命感が芽生えたのは確かです。だからと言って、意気込むとか、無理をするとかそういうことではなく、今まで以上に、丁寧に自分の心と向き合い、三宅由佳莉さんや東京音楽隊の活動について、何故自分は感動し、心が揺さぶられているのかについて、更なる内省を続けていこうと思った次第です。

 

 生意気を書いて申し訳ありませんm(_ _)m