あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

三宅由佳莉さんのメディア出演(3)

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 「三宅由佳莉さんのメディア出演」は、今年に入ってから書き始めたシリーズです。現在準備中の、三宅由佳莉さんのアニュアルレビューを仕上げるために色々調べていくと、三宅さんは、驚くほど多くのテレビやラジオのプログラムに登場されていたことがわかります。

 そこで、アニュアルレポートとはまた別に、それぞれについて、私なりに感じたことなどを記事にしていこうと思ったわけです。

 そんな作業を続けているさなか、ふと思い出したことがあるのです。

 以前から何度か書いているとおり、現役の自衛官だった頃、私は三宅由佳莉さんにも、東京音楽隊にも特段の関心はなく、単に「海上自衛隊の仲間」という認識でした。

 ですから、彼らが活躍しているとは聞いていましたが、それがどの程度のものなのかについて、全く認識していなかったのです。

 ある日曜日の夜、私は自宅の湯船に浸かりながらラジオを聞いていました。浴室用の防水型ラジオがいつも置いてあるのですが、滅多に聞くことはありません。その日は、たまたまゆっくり湯に浸かっていたい気分だったので、音楽でも聴こうとラジオのスイッチを入れたのでした。

 ちょうど番組が切り替わる時間だったのでしょう、程なく、有名なミュージシャンの番組が始まりました。随分前のことですし、それが誰だったのかは思い出せませんが、誰もが知っている人でした。そして何と、ゲストとして三宅由佳莉さんが登場したのを思い出してしまったのです。

 特段の関心はなくても、現役の3等海曹が、有名ミュージシャンの番組にゲストとして呼ばれるのを喜ばないはずはありません。「へぇ、すごいな」と素直に感心しましたし、番組内での受けごたえも、とても清々しい印象でした。ただ、やはり特段の関心がなかったものですから、会話の内容などは覚えていません。一つだけ印象的に記憶に残っているのは、営内に居住しているため、歌手とは言え、特別な空調があるわけでもなく、喉のケアには自分なりに気をつけている、というような内容でした。そうか、何か対策は取れないものかと、私は管理者の目線でこの話を聞いたのでした。

 いつ頃だったのか、ミュージシャンは誰だったのかと思い巡らせている時、このブログの読者の一人で、これまで何度も有益な情報を提供して下さっているnavy171さんが、以前コメント欄で、松任谷正隆さんのラジオプログラムに三宅さんがゲスト出演したときのことを書いておられたことが霹靂のように思い出されたのです。

 navy171さんのコメントを以下に引用します。

それは2014年1月12日、FM東京他各地FM曲で放送された「松任谷正隆ディアパートナー」という番組に三宅さんがゲスト出演した際の対話です。三宅さんは遠洋練習航海に参加したいのは「船に乗ることは船酔い等きっと辛いものがあると思いますが、自分の広報という立場からそのような現場を自らも体験しておくことが必要なのです。」という主旨を語っておられました。そのことはとても印象的でしたが、対話が終わって番組終了時、松任谷氏がパートナーの中井美穂さんと番組を振り返って語るコーナーがあったのですが、松任谷氏は三宅さんを「とても真っすぐな人ですね」と語っていました。

 このような会話があったことは、全く覚えていませんが、私が記憶しているのは、この番組に違いないと確信しました。番組でのやりとりのサマリーが過去ログとして残されていましたので、リンクを貼ります。

www.tfm.co.jp

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 以前、別の記事でも書きましたけど、三宅由佳莉さんはいろいろな番組に出演されていますが、残されている音声資料などを拝聴すると、どのプログラムのホスト・パーソナリティーも例外なく、彼女の誠実な人柄に強く心を打たれているのがよくわかります。

 今回思い出した松任谷正隆さんの「DEAR PARTNER」は、私自身の記憶も乏しく、音声資料も見つかっていませんが、navy171さんのコメントからみて、やはり例外たり得なかったということでしょう。

 昨日、「三宅由佳莉さんの威力」という記事を書きましたが、自衛隊に反対し続けて来られた方々でさえ魅了してしまう、その恐るべき威力の前に、自衛隊への反感を持っていない人々が無事でいられる方が不思議というものです。いわんや自衛隊ファンをやです。

 ひところ、三宅由佳莉さんは「キラーコンテンツ」と呼ばれていたそうですね。今朝方、上の記事への、ゆきかぜさんのコメントで知りました。

 まさに、三宅由佳莉さんの登場は、社会現象となって日本国中を席巻したわけですが、そんな大きなうねりに呑みこまれなかった私は、今にしてみれば愚か者です。でも、まだ私のタイミングではなかったのも事実なのです。

 三宅由佳莉さんは、必要とする人が必要とする時に、気付けばずっとそこにいてくれたことを知る、そんな存在なのだと思います。

 

 今回は、ふと蘇った記憶を元に、膨らませた記事でした。

 小さな点のようでも、つながると突然広がりを見せるのが、記憶の面白いところですよね。私の記憶の中に、まだまだ三宅さんがいるかも知れないとも思いました。