あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

「方位変わらず距離近づく」

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 海上自衛隊用語の続きです。

 これも、海上自衛隊用語というよりは船乗りの用語かも知れません。

 読み方は、普通にそのままですが、艦艇乗りにとっては緊張感を孕む言葉です。

 

 艦艇や船舶は、道路の上を走る車両とは違い、基本的に物理的制約なしに水上を航行します。したがって、艦船同士の衝突を防止するためには、互いに見張りを怠らないことがとても重要です。

 海上自衛隊の艦艇も、民間の船舶も、艦橋(船橋=ブリッジ)の当直クルーが目視で周囲の見張りを行うと同時に、水上レーダーを使用して、目視による見張りを補強しています。

  民間船舶の場合、船橋(ブリッジ)に備えられた水上レーダーのレピーターを使用して、ブリッジにいる当直員が目視とレーダーの両方で見張りを行うのではないかと思いますが、海上自衛隊の艦艇の場合、艦橋当直員もレーダーレピーターを見ますが、艦内の戦闘指揮所(CIC)にいるCIC当直が、より精密なレーダー見張りを行なっています。

 はるか沖合いを航行する場合であれば、行会う船舶も限られますが、沿岸部に近づけば近づくほど行会い船(水上目標)が増え、各目標との相対関係が複雑になります。

 船舶同士の衝突を防止することを目的に制定された「海上衝突予防法」という法律があります。洋上航行の原則は「右側通行」ですから、互いに正面から近づく場合には相互に右に避けてすれ違います。

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 また、例えば直角に交差する進路で見合い関係となった場合には、相手船を右側に見る船舶が衝突を避ける動作を行う義務を負い(避航船)、逆に相手船を左側に見る船舶は針路・速力を保つ義務を負います(保持船)。

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 これは実に美しい大原則です。これで全ての問題が解決するでしょう、机上では.....

 実際の現場でも、見合い関係が1対1であるなど、特殊な場合には問題なく適用できるかも知れませんが、たくさんの船が同時に航行している現実の場面ではそうは行きません。実際、A目標との関係では「避航船」に当たるけれども、同時に、B目標との関係では「保持船」に当たる、などということは日常茶飯事です。

 海上の現場では、もちろん海上衝突予防法の各規定を常に念頭に置きつつも、それらが適用できない多くの場面で、「船乗りの常識」がこれらの問題を解決しているのです。

 例えば、大型のタンカーとプレジャーボートの場合、常識のある船乗りならば、「どっちが避航船だ?」などとアホなことは考えません。圧倒的に機動力に優れたプレジャーボートが避けるに決まっています。

 ところが、海難事故が起きると、テレビも新聞も、こぞって「海上衝突予防法によれば、タンカーが避航船で、プレジャーボートが保持船なのに、なぜタンカーは回避動作を取らなかったのでしょう」などと、浅薄な報道を繰り返します。条文にばかり着目して、「衝突を避ける」という法律の目的を忘れているのです。

 すみません、つい脇道に逸れてしまいました。

 そのような複雑な行会い関係が多数同時に生じている場合、見張り員あるいはCIC当直からの「方位変わらず、距離近づく」と報告される目標が、最も注意を払うべき対象となります。相対方位に変化がなく、距離だけが近づくということは、両者の相対運動が衝突コースにあるということを意味するからです。

 このような目標に対しては、なるべく早いタイミングで、大きく針路を変えて衝突コースから外れるのが正解です。こちらの意図を相手に明確に伝えるためです。

 以上のことは、人ごみの中を歩くときにも言えます。

 多くの人が歩いていますが、「方位変わらず距離近づく」目標に注意を払い、早い段階で、進路を変える必要があるわけです。ただ、経験上、その人の前を横切ろうとすると却って衝突の危険が増しますので、後ろを通ることを心がけると、最小限の針路変更で、とても楽に衝突を回避できます。是非試してみて下さい。