あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

「オスカー揚げ!」

 海上自衛隊用語の続きです。

 今回は号令です。

 

 「オスカー」とは何か。

 おわかりですね、先回の記事でご紹介したNATOコードの一つで、アルファベットの「O」のことです。

 

「オスカー揚げ!」は、国際信号旗「O」を全揚(揚旗線の一番上まで揚げること)とせよ、という号令です。

 f:id:RetCapt1501:20180215022653j:plain「O旗」

 問題は、それが何を意味するかですよね。

 国際信号書に記載されている「O」一旒(いちりゅう)の意味は「Man overboard /人が海に落ちた」というものです。ですから、この旗をマストに掲げている船は、乗員または乗客が海中に転落したため、救助活動を行っていることがわかります。

 

 さて、航行中の艦艇から海中に転落した乗員(溺者=できしゃ)には、どんどん艦尾が近づいてきます。艦尾の水中には、ご存知のとおり巨大なスクリューが回転しています。しかも下の写真のように通常2つ。そのままだと、このスクリューが作り出す強力な水流に吸い込まれる危険があります。人間などひとたまりもありません。

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 この悲劇を回避するには、直ちに、人が落ちた側に舵を切る必要があります。何故落ちた側なのか。スクリューの後ろには舵板があり、例えば、上の写真のように取舵(とりかじ・左)をとると、舵板が受ける海水の抵抗により、艦尾は右に振れます。この振れを利用して少しでも溺者と艦尾の間を離そうというわけです。

 ですから、転舵号令は直ちに行わねならず、しかも左右を取り違えれば溺者を殺しかねません。このため、溺者救助訓練は、頭で考えなくてもできるまで、繰り返し行われます。

 まず、人が落ちるのを発見した者は「人がおちた、左!」と、必ず左右どちらなのかを報告します。

 これを聞いた、操艦中の当直士官は、瞬発的に「取舵いっぱーい!」「オスカー揚げ」と号令を出します。これに引き続き、溺者救助のための様々な指示を出すのですが、最も大切なのが、初動の転舵号令、そして「オスカー」掲揚です。

 転舵には、溺者の安全を確保するだけでなく、溺者に対し「気づいているぞ、救助に向かっているぞ」というメッセージを送るという意味もあります。

 また、オスカーを直ちに掲げるのは、突然回頭(船が向きを変えること)を始めた理由を伝えることで、付近を航行中の船舶に不安を与えないようにすると同時に、救助活動への協力が期待できるからです。

 でも、溺者の安全の確保という点については、疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。たまたま艦橋の左右見張員が発見したなら当直士官に直ちに報告できるだろうけど、甲板上で目撃された場合などは、艦橋に報告が上がるまでに、溺者は艦尾を通り越してしまうのではないか。そのとおりです。

 でも、可能性は低くとも、活かせるチャンスがあるのなら最大限に活かそうということです。

 訓練とはそういうものでしょう。