あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

「届けます!」

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    海上自衛隊用語解説シリーズの続きです

  以前、「マイク、『総員起こし5分前』」という記事で、なんでも5分前の号令がかかる海上自衛隊では、総員起こし(起床)の5分前にも号令がかかることを紹介しました。

retcapt1501.hatenablog.com

 そんな海上自衛隊では、「前倒し」がよく行われます。どういうことかというと、何かをやる場合、予定の時刻よりも前に準備が整ったならば、予定時刻に捉われることなく、前倒しで始めるということです。

 艦艇の出航時刻も同じです。出航準備を進めている艦艇の近くで聞いていると、「早めに出航する」という艦内マイク(放送)が入ります。これは、出航準備作業が整ったので、出航時刻には至っていないけれども、早めに出航することを艦内に令しているのです。

 また、「準備出来次第出航する」という艦内マイクもよく聞かれます。

 はっきり言いますと、どんなことにせよ、予定時刻に始まることは殆どなく、前倒しで行われるのが常態です。準備が整っているのに、予定時刻をじっと待っているなどということは、スマートな態度ではないと考えられているからです。

 

 ところが、このような体質は、陸空自衛隊からみるとちょっと変なのだそうです。彼らに言わせれば、「予定時刻を決めた意味がない」「前倒し実施になるかも知れないといつも思っていなければならないなら、落ち着かない」ということだそうです。

 確かにそうかも知れません。この差は、海上自衛隊というか海軍の特徴に起因していると私は思います。

 もちろん、有事即応という心構えの端的な表れでもありますが、仮に敵の攻撃や自然災害の推移により、湾口が閉塞されるようなことになれば、艦艇は無用の長物と化してしまいます。ですから、「準備でき次第出航する」のです。

 艦艇もひとつの部隊ですが、全隊員が艦に乗り組み、そして部隊として必要とされる全ての機能が艦に集約されていますから、部隊の行動予定の変更などは、艦の運行のみを考えれば済みます。これに対し、陸空自衛隊の場合、部隊の行動の変更には、車両、糧食、宿泊、交通規制、など、信じられないほど多くの調整が必要になるのです。ですから、軽易に「早めに出発する」とはいかないわけです。

 さて、前倒しが好きな海上自衛隊ですが、例えば、行事や式典などの準備が整い、あとは指揮官が会場に来てくれれば始められる状態になったとき、先任士官に対し、副官あるいは甲板士官などが「届けます!」と言って、その場を後にします。

 30年以上、海上自衛隊に身を置いていた私にとっては、何の違和感もありませんが、そうではない方々にしてみれば、不思議な言葉ですよね。この状態で、そもそも「何を届けるの?」「どこに届けるの?」

 この「届けます!」は、「整備の完了を届けます」の省略形です。

 と言っても通じませんよね。その意味するところは、整備の完了、すなわち、準備が整ったことを、「指揮官に報告します」ということなのです。つまり、報告を「届ける」ということですね。

 陸海空統合の場面で、若手の海上自衛官が、陸上自衛官の上司に対し「届けます!」と言って会場を後にする場面を見たことがあります。その陸上自衛官は面食らって「あいつは何を届けにいったんだ?」と、周囲の人間に聞いていました。

 同じ自衛隊でも、言葉の壁はあります。陸自と空自はそれでも共通する言葉が多いのですが、海自には海自の中でしか通じない言葉が多いようです。ですから、自衛官には、「ひょっとしたら、他軍種の人間には通じていないかもしれない」という想像力が求められる時代になりつつあるのかも知れません。