あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

「まっすくでいるか、まっすぐにされるか」

 「座右の銘はなんですか?」

    長いこと生きていると、不意にそんな質問をされることがあります。

 座右の銘って、いつも身近に置いて、自分の生き方なりを律する考え方とかそういう意味でしょうか………

 そんな大それたものではありませんが、私にとって座右の銘的なものはあります。それが、タイトルにある「まっすぐでいるか、まっすぐにされるか」という言葉です。

 ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、ローマ五賢帝の一人であり、軍事よりも哲学を重んじた哲人皇帝です。その著書「自省録」には、この哲人皇帝の思想が、縷々綴られています。

 私がこの書に出会ったのは、今から40年も前、高校生の時です。

 世界史、または倫理社会、いや、恐らく両方の教科書にこの賢帝のことが書かれていて、その著書として紹介されていた「自省録」。どうした訳か無性に読みたいと思い、確か岩波文庫版を購入したのでした。

 一つ一つの文章は短いのですが、「なるほど」と頷かされるものばかりでした。

    読み進めるうちに、殊更強く私の心を捉えたのが、先ほどの

「まっすぐでいるか、まっすぐにされるか」

だったのです。

    私なりの解釈はこうです。

    人も物事も、まっすぐであるべきだが、ただまっすぐであれば良いというわけではない。強制された、見た目のまっすぐさなどに価値はない。自らまっすぐでいようともがき、苦しみ、その結果「まっすぐ」であることが大事なのだ。

    そのように理解した私は、衝撃を受けました。こんな簡単な文章で、こんなに深い考えを言い表すことができるなんて!

   しかも、私の心にストンと落ちる、心地よい言葉でした。

    私の人生は、決して人様に誇れるような立派なものではありません。後ろ指を指されても仕方のないこともたくさんありました。

    でも、事あるごとに、この言葉を反芻していたことは事実ですし、「まっすぐでいる」ことはできなくても、「まっすぐでいたい」ともがき苦しんではきたように思います。そういう意味では、私の人生を底流で支えてくれた、また、これからも支えてくれる言葉であることは間違いありません。

 人生の黎明期に、気の遠くなるような長い年月を超え、このような先人の智慧に触れることができたのは幸いなことでした。書物というものの計り知れない価値は、まさにこの点にあると思います。

 ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの「自省録」、先人の智慧の宝庫であるこの書のなかから、あなたの心に落ちる思想が見つかるかもしれません。

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