あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

きっかけ

今週のお題「読書の秋」

 反抗期の自分を覚えていますか? 中には、今が真っ盛りの人もいるかもしれませんね。かく言う私にも、何度か反抗期があり、特に母親との激しいバトルを繰り返したのを今でも覚えています。

 では、いつ反抗期が終わったのか覚えていますか? 私は、高校時代の反抗期が終わる瞬間を覚えています。いつものバトルの最中、母に向かって毒を吐いたそのとき、突然「何やってんだ、俺?」と思い、無意味なバトルのあまりのバカバカしさに笑いが込み上げてきました。母にしてみれば、気味が悪かったに違いありません。

 当時、私の部屋には家族共用の本棚があり、誰のものかわからない本やら図鑑やらが並べられていましたが、その中に、古びた文庫本が1冊あるのは気づいていました。カバーもかかっておらず、陽に灼けてひどく色抜けした薄い土色の背表紙が、やけに偉そうに見えたからです。

 母とのバトルが劇的な最期を迎えたのと同じ頃だと思います。季節が秋だったかは定かではありません。私の手が突然、その、やけに偉そうにしている文庫本に伸びたのです。手を伸ばした自分に驚きました。「何やってんだ、俺?」 だって、それまで読書の習慣がまったくなかったからです。本を読んだことがない、という意味ではありません、念のため。

 手にとった文庫本のページをめくってみると、なんと本の中身までが偉そうにしているではありませんか。文章全体にちりばめられた、多くの旧字体が、「読めるものなら読んでみろ」と言わんばかりに各行のなかで幅を利かせていました。

 「こいつらを制覇してやる」というのが、その本を読み進めることにした動機でした。ところが、最初はなかなか読めなかった旧字体が苦にならなくなった頃には、偉そうだった本に綴られる、心揺さぶる物語にすっかりはまってしまい、一気に読み終えました。

 ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」は、おそらく今読んでも感動するのでしょう。でも、多感なあの時期に読むことができたことは、私にとって得難い宝物のような経験でした。

 その後、私がたくさんの本を読み漁るようになったのは言うまでもありません。

 反抗期が突然終わったのも、普段読みもしない本に手が伸びたのも、その瞬間は鮮明に覚えているのに、何がきっかけだったのかは未だにわかりません。

 頭ではわからなくても、無意識の自分は、その選択が必要だということがわかってたのかもしれませんね。

 当時私が読んだ「春の嵐」の出版社がどこかは覚えていませんが、訳者が高橋健二さんでしたので、ネットで調べてみると、新潮文庫版だったようです。

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