あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

日本海の怪(続編)

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 一昨日(2019年1月4日)、「日本海の怪」という記事を書きました。昨年12月20日に起きた韓国海駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への射撃管制レーダー照射事件についての私見を述べたものですが、ちょうどその日、韓国国防部が日本政府への反論動画をYouTubeにアップして全世界に向けて公開しました。

 12月28日に防衛省が、レーダー照射を受ける前後の機内で撮影された映像をホームページ上からYouTubeにアップしたことへの対抗措置のようです。

 すでにご覧になった方もいらっしゃるかも知れませんが、一国の政府が「反論」のために公表した動画とはとても思えません。そのお粗末さに大変驚きました。

 動画のサムネイルとして使われている画像は、韓国艦の直上にP-1哨戒機が写っていますが、この明らかな合成画像が「危険な低空飛行」の証拠だとでも言うのでしょうか。この画像が合成でないなら、この「反論」動画の中でVTRが公開されているはずですよね。そんなものは一切ありません。かなり遠くを飛行している豆粒ほどの哨戒機の動画が10秒ほど使われているだけで、残りは全て日本側が公表した動画に字幕を付け直したものです。一体この動画で何を反論しようとしているのでしょう。

 そもそも、自分たちが主張している最も重要な点について「合成画像」を使うことの意味がわかっているのでしょうか。

 おまけに、必要もないBGMと効果音で、何か意味のあることを公表しているかのような印象を与えようとしていますが、伝えるべき中身がなければ、素人がお遊びで作る動画と変わりありません。

 

【韓国語版】

www.youtube.com

【英語版】

www.youtube.com

 韓国側の主張で唖然とするのが、「日本は高度150m、艦船からの水平距離500mというICAO(国際民間航空機関)の基準を守ったと主張しているが、ICAO憲章には、軍用機には適用しないと明文で記載されており、日本側の主張は失当」というものです。

 韓国の言うとおり、軍用機にはそんな制限はありません。状況確認のために必要ならもっと近接したって構わないのです。でも、海上自衛隊では無用の懸念を生じさせないために敢えて民間規範に準拠して行動しているのです。韓国は何を主張したいのでしょうか。

 今回の騒動で、私が不思議に思うのは、当事者が海軍艦艇であるにも関わらず、韓国海軍の顔が一切見えないことです。現場で何が起きたのか、そして射撃管制用レーダーを照射する意味、照射した以上日本側が決定的な証拠を握っているであろうこと、世界中の海軍関係者がこの事件をどう見ているかなど、この件について申し開きができないことは、韓国海軍は十分すぎるほどわかっているはずです。

 私の想像ではありますが、事件が起きた当初、韓国海軍は事の重大性に鑑み、「ヒューマンエラーで迷惑をかけた、再発防止に務める」と謝罪するしかないと進言したに違いないと思います。

 それに対し、「日本に謝罪するとは何事か、逆に日本に謝罪を求める理由を考えろ」と厳命され、無理やり捻り出したのが「危険な低空飛行」だったのでしょう。韓国側の主張が二転三転、四転五転してきたのは、そんな事情もあるのかも知れません。ところが、日本政府が「証拠映像」を公表したものですから、韓国国防部は逆ギレ状態に陥っているというのが現状ではないでしょうか。

 韓国海軍は「だから言っただろ。もういい加減に恥の上塗りはやめてくれ」と思っているに違いありません。彼らが気の毒です。

 

 あるいは・・・

 こんな、小学生にも嘘だと判るようなお粗末な主張を、近代国家である韓国があえて続けている背景には、「あそこで何をやっていたんだ?」という、絶対に触れられたくない話題から論点をそらす目的があるのかも知れません。

 でも、米国を中心とする各国間では、あの海域で行われていたであろうことに関する詳細な評価と認識の共有が既に行われているはずです。

 韓国政府は自らをどこまで追い詰めるつもりなのでしょう。日本海の怪は深まるばかりです。

三宅由佳莉さんのふるさと便り(斎藤特派員報告)

 

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(倉児日記から1枚拝借しました)

 年が明けてから、昨年書ききれなかった記事を、時系列を一応守りながらせっせと書いていますが、実は、皆様に予告もしていなかったイベントが年末にあったんです。私は大晦日まで多忙だったものですからとてもチェックしきれなかったのですが、我らが斎藤さんがちゃんと現地に赴いて取材をして来てくれました。

 タイトルを見れば判ると思いますが、現地とは、三宅由佳莉さんの故郷、岡山県倉敷市のことです。

 12月28日(金)、倉敷市民会館大ホールで行われた倉敷児童合唱団(倉児)の第22回定期演奏会に、三宅由佳莉さんが5年ぶりに招待出演されたのです。前日から倉敷入りし、リハーサルなども行われたようで、その際の写真などが倉児のホームページに掲載されていますので、下のリンクから飛んでみてください。

yaplog.jp

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 また、本番での写真もいくつか掲載されています。

yaplog.jp

 三宅由佳莉さんは、これまで何度となく故郷(倉敷や岡山)での演奏会などでその歌声を披露されて来ました。以前、それらを一つの記事にまとめたことがありますので、今回の記事は、その追補版の位置付けとなります。

retcapt1501.hatenablog.com

 ご自身の故郷とは言え、年末の忙しい時期に、倉敷まで出向いての取材と記事の執筆をしてくださった斎藤さん(特派員です)には感謝の言葉もございません。ありがとうございました。以下、斎藤特派員報告です。

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 私(齋藤)のふるさとである倉敷(もちろん三宅由佳莉さんにとってもふるさとです)で、平成30年12月28日に倉敷児童合唱団(以下、「倉児」といいます)の第22回定期演奏会が、倉敷市民会館大ホールにて開催され(18時30分~21時)、倉児のOGである三宅由佳莉さんが、スペシャルゲストとして5年ぶりに出演されましたので、行ってきました。

岡山城東高校第30回定期演奏会

 さて、その前日の27日、実は三宅さんの母校である岡山城東高校の第30回定期演奏会も開催されており(場所は岡山シンフォニーホール)、せっかくふるさとに帰っているのだからということで、私は、この岡山城東高校の定期演奏会にも行きました。昼の部(13時30分~18時30分)を聴きました。プログラムは、第1部と第2部にわかれ、第1部は、吹奏楽部、管弦学部、合唱部が、それぞれ1年間の練習の成果を披露し、第2部は、第30期音楽学類の3年生の個人(一部はグループ)演奏が披露されました。さすが三宅さんの母校だけあって、いずれもレベルの高い演奏でした。
 吹奏学部で圧巻だったのは、「オリジナルメドレーSHOUT!」で、クラリネット、サックス、トランペット、トロンボーンなどを上に向けて、叫ぶように演奏し、ダンスも交えた、はでなパフォーマンスとその迫力に圧倒されました。
 管弦学部(部員のほとんどは弦楽器)ですが、何と部員の95%は、楽器初心者ということで、部長も高校に入学してから、ヴァイオリンを始めたとのことでした。しかし、なんのなんの演奏は、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデOP.48 第4楽章」を始め、弦楽器の美しい音色を響かせてくれました。東京音楽隊も今年よく演奏した「西郷どんメインテーマ」では、三宅さんのヴォカリーズのパートを三線(沖縄の楽器)のソロで演奏されました(よかったですが、やはり、三宅さんのヴォカリーズが最高で、聴きたかったなという気持ちでした)。そして、最後は、あのラデッキー行進曲で締めてくれました。
 第1部の最後は、平成30年、NHKの全国学校音楽コンクール全国大会に、岡山県勢として初めて出場した合唱部が、課題曲などを披露し、その実力を示してくれました。実は、合唱部は、3年生が引退して、全国学校音楽コンクール全国大会のときのメンバーではなく1、2年生のみの編成でしたが、すばらしいハーモニーとステキなダンスを見せてくれました。ちなみに、合唱部部員66人中、男子はたった9人なんです。
 ここまで来るとお分かりかな、と思いますが、吹奏楽部も合唱部も、演奏だけでなく、ダンスパファーマンスも素晴らしかったのです。三宅さんは、高校時代はダンス部で、今も、「キューティハニー」、星野源の「恋(恋ダンス)」、「ダンスロボットダンス」や「ヤングマン」などの歌唱で、切れのある素晴らしい振り付け、ダンスを披露してくれますが、三宅さんの歌とダンスは、岡山城東で「も」(何故「も」なのかは、後で分かります)、鍛えられていたのでしょうね。
 第2部は、総勢30組の3年生が、ピアノ独奏、フルート独奏、ソプラノやバリトンの独唱、作曲作品演奏などが披露されました。私の印象に残ったのは、「トゥナイト」(ウエストサイドストーリー)のクラリネット四重奏でした。歌唱パートのクラリネットで弾きわけは素晴らしかったです。また、三宅さんが、平成30年4月7日に倉敷でも歌った「Think Of Me」を披露された学生にも注目しました。三宅さんの卓越した歌唱力や表現力にはまだまだ及びませんが、(三宅さんもおそらくそうだったように)これから顔晴って進化していってほしいと思いました。

 前座が長くなってしまいました。本論にはいりましょう。

 

【倉敷児童合唱団第22回定期演奏会

 12月28日、開場は17時30分、自由席ということで、先頭ぐらいに並ぼうと、3時間30分前に会場についたところ、何と既に50人くらいが並んでいました。ちょっと想定外で、この時点では、「マズイ、最前列がとれないかも・・・」と思いました。並んでいるのは、ほとんどが、出演する子供たちのお友達とそのお父さん・お母さんといった感じで、私のように、とにかく「三宅由佳莉」が観たいと、来ている人はほとんどいないように思えました(この見立ては正しかったようです)。開場してホール内に急いで入ったところ、最前列(この日は、第1列目の真ん中には、客席で指揮をする席が設けられていたため、真ん中付近の最前列は第2列目でした)には、誰も座ろうとしないのです。幸運にも、最前列真ん中(三宅さんが歌唱する真正面)の席に座ることができました。
 さて、プログラムを見ると、「1 メンデルスゾーンVSショパン」、「2 虹の向こうに」、「3 The Beatles Collections」、「4 合唱ミュージカル『星空の紙ヒコーキ』」とだけなっていて、三宅さんの出番も何を歌うかも全く分かりませんでした。
 倉児の生徒さんたちは、幼稚園(保育園)の年少組から、上は大学3年生までいて、総勢130人余り、そのうち男子は、たった5人です。岡山城東の合唱部も男子はすごく少なかったですが、何なんでしょうかね?(私事になりますが、50年も前、私の亡母は、私を児童合唱団に入れようと思っていて、結局事情があって入れなかったですが、私自身は合唱団に入りたかった記憶があります。合唱っておもしろいし、歌の基礎も学べるのでよいと思いますし、うまくなれば独唱もできますし)
 余談がすぎましたので、演奏会の報告をすすめます。
「1 メンデルスゾーンVSショパン」では、まず、司会役の2人の子供から、メンデルスゾーンショパンの関わりや、メンデルスゾーンショパンの対照的な曲として、「結婚行進曲」と「葬送行進曲」があることなどの話があり、小学校高学年以上のメンバーにより、メンデルスゾーンの「春の歌」やショパンの「別れの曲」など4曲が披露され、最後は、ショパンの「華麗なる大円舞曲」で、ここでは、ステキな「ダンス」も披露されました。
「2 虹の向こうに」では、小学生以下のメンバーが13曲をかわいらしく歌っ
てくれました。ここでも、かわいらしく、かつ、元気な「ダンスパフォーマンス」
をやってくれました。

 ちびっ子たちが舞台からいなくなって、ふと、舞台の左袖に目をやると、三宅さんらしき姿が見えました。ここから、「三宅由佳莉」のスペシャルステージです。

yaplog.jp 照明の暗い中、左袖奥から、「タイム トゥ セイ グッバイ パ エーズィ ケ ノノ マイ・・・」という三宅さんの美しい歌声が聴こえてきます。照明が明るくなり、制服の三宅さんが歌いながら舞台に現れたところで、大きな拍手が沸き起こり、三宅さんは、私の目の前まで来て、あの超高音のラストを10秒間のロングトーンで、カッコよく歌い上げました。この歌の終盤の短い部分だけでしたが、特に高音の響きは、これまでにないくらい、つやと厚みをもっていて、一段と進化した「タイム トゥ セイ グッバイ」を聴くことができました。
 すぐ、伴奏は変わり、次は「Believe」です。合唱曲でもあり、卒業式でもよく歌われる曲です。今日は、三宅さんの独唱で披露されました。私は、「Believe」を三宅さんの生歌で聴くのは初めてでしたが、限りなく透き通った美しい歌声と、三宅さんの体から発せられる音魂(おとだま)、そして、オーラに、私の体全体がふわっとつつまれ、すーっと心が浄化されていく感じになりました。
 歌い終わり、「今年7月、岡山を襲った豪雨災害、私のだーい好きな岡山に、そして今日ここにお集まりの皆様の心の中に、小さくてもいい、明るい光がともることを祈っておおくりします。祈り~prayer」
 この三宅さんの言葉だけで、同じふるさとを持ち、倉敷真備の惨状に心を痛め、今も気になっている私は、既にウルウルしていました。
 1コーラス目は、三宅さんの独唱です。そこには「Believe」のときとは少し違った「三宅由佳莉」がいました。もちろん透き通った美しい歌声です。私が「祈り~prayer」を生で聴くのは丁度10回目なのですが、表情、指先、手そして体全体の動きから、いつも以上に、凛として、かつ、みんなの心に光を届けようとする力強さが伝わってきました。既に私の涙腺は崩壊していましたが、2コーラス目から子供たちのコーラスが加わりました。大げさと思われるかもしれませんが、まさしく、子供たちの穢れなく美しい「天使のコーラス」の中で、美しく、凛とした「女神」が、西日本豪雨だけに止まらず、あらゆる災害の被災者の方々へ、ひいては、すべての国民に向けて、「希望の光」のオーラを放っているように感じました。いままで聴いた「祈り~prayer」の中で一番感動しました。言葉に表すのがおこがましいような素晴らしい演奏でした。
 「えっ、まだ、涙が出ているのに・・・」と思いながら、三宅さんは「次はちびっ子も一緒に歌いたいと思います。ちびっ子のみんなー」と呼びかけ、「はーい」と小学生以下のちびっ子たちの再登場です。歌は、サウンド・オブ・ミュージックの「ドレミの歌」(ペギー葉山さんの訳詞)。会場は一気に楽しい雰囲気になり、三宅さんのあのステキな笑顔がはじけます。ちびっ子たちもかわいかったです。三宅さんは「歌のおねえさん」になり切っていました。そして、ここでも歌のラストの、三宅さんの超高音の響きは圧巻でした。
 最後は、次のステージの紹介をして「今日は、ありがとうございました。三宅由佳莉でした。」とさわやかに、手を振りながら舞台左袖に消えていきました。
 約16分のステージでしたが、(当たり前ですが)東京音楽隊での歌唱のときとは全く違った雰囲気で、本当に楽しく、かつ、感動いっぱいでした。

 ここで、10分間の休憩に入り、後半に移ります。「3 The Beatles Collections」では、ビートルズナンバーを黒のブレザーとネクタイで決めた小学高学年以上の子供たちが、シックに、かつ、カッコよく、ダンスも交えながら歌ってくれました。最後の「Let it be」では、客席が携帯の光をペンライト代わりにして振るという演出もあり、楽しめました。
「4 合唱ミュージカル『星空の紙ヒコーキ』」は、カケルという男の子(実際の配役は女子)が、天国の亡父と話をするのに、紙ヒコーキを飛ばして交信していたら、アルゴル星の「ララ」という少女に届き、「ララ」が地球にやってきて、地球の子供たちと交流するというストーリーです。「ララ」役が、このミュージカルの主役で、青い髪の毛・銀色の衣装(ミニスカート)で歌い、踊ります。このミュージカルは、これまで何度か披露されているようで、今回の「ララ」役は4代目、実は、三宅さんは、2代目の「ララ」役でした。きっとかわいくて、カッコよかったのでしょうね。

 お気づきになられたのではないかと思いますが、倉児の演奏会の演目には、すべて歌だけではなく、ダンスが組み込まれています。ちびっ子から大学生に至るまで、「歌って踊る」という表現が、しっかりできるようになっているなと感じました。既に触れましたが、これが岡山城東高校「も」の「も」の意味なのです。
 二つの演奏会を観て、今の「三宅由佳莉」の原点、素晴らしい歌とダンス、人の心を揺さぶる卓越した表現力、そして、エンターテイメント性の高さの原点がここにあると強く感じました。

 さて、演奏会終了後、ホール1階のホワイエに子供たちが出てきて、来場者へのお礼とお見送りを兼ねてドレミの歌などを歌っていました。

 地元倉敷だし、東京音楽隊の演奏会ではないので、三宅さんもお見送りに出ているのではないかと探していたら、入り口付近にいました、いました。既に子供たちやお母さん、おねえさんたちに囲まれていました。私から三宅さんに「すごく良かったよ」と声をかけてハイタッチを交わし、少しお話もできました(余談ですが、三宅さんとお話をし、一緒に写真を撮っているのは、子供たちとお母さん、おねえさんたちばかりで、男性陣の声かけなどがほとんどないは何故なのでしょう? ランチタイムコンサートでは、男性陣もそれなりにみんな写真を撮ったりしているのにね・・・ 地元の私がいうのも何なのですが、倉敷の人はシャイなのかな?)。私にとっては、平成30年4月の倉敷(児島)での演奏会とともに、記憶に残るステキな演奏会でした。

 報告は以上です。かなり私の勝手な感想等も入っていますので、ご容赦下さい。

(斎藤特派員)

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 いかがだったでしょうか、やはり演奏会に出向くということはとても大切なことだと実感させられますね。演奏内容そのものを直に掴むということもありますが、演奏会周辺の様々な事物に触れるということが重要だと思わせてくれる、そんな記事ではないでしょうか。

日本海の怪

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 昨年(2018年)12月20日午後、日本海において哨戒飛行を行っていた海上自衛隊第4航空群(厚木)所属の哨戒機P-1(ピーワン)が、能登半島沖の我が国EEZ内で、韓国海軍の駆逐艦「広開土大王(クァンゲト・デワン)」から射撃管制(Fireing Control / FC)レーダーを複数回にわたり、各数分間照射されるという事件が起きました。

 すぐに記事を書きたかったのですが、時間が取れず年を越してしまいました。でも、事件は解決するどころか、長期化の様相を呈しているため、皮肉にも記事が間に合いました。

 報道等を見る限り、FCレーダーの照射という問題に議論が集中しているように感じられます。もちろん、それ自体重大な国際協定違反でありますが、もっと基礎的な問題があるのです。下の写真は、P-1哨戒機が撮影したVTRから切り出した「広開土大王」の写真ですが、極めて異常な状態であることがお判りいただけるでしょうか。

 そうですね、軍艦旗を掲げていません。つまり、外形上軍艦に見えるけれども国籍不明かつ、軍籍にあるか否かも不明な不審艦艇となっています。 

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 海軍艦艇がこのようなブザマな姿で公海上を行動するなど、海軍軍人の感覚として到底考えられないことです。例えるなら、パジャマ姿で出勤するようなものです。

 第一、商船、軍艦の別なく、航海中は所属国を示す旗章を掲げるのが国際法の定めるルールですし、韓国海軍の軍規にも明文で掲揚義務がうたわれているはずです。それが常識だからです。

 この映像が防衛省により公開された時、韓国国防省は強く反発しましたが、私は、このような違法かつブザマな自国海軍艦艇の姿が世界中の海軍関係者の目に晒されたことも大きな要因であろうと考えています。

 では、何故わざわざそのようなブザマな姿で行動しているのでしょうか。

 軍艦旗を掲揚するのを忘れたのでしょうか?だとしたら、すでに海軍艦艇の体をなしていませんが、経験豊かな韓国海軍の艦艇がそのような状態にあるとは到底考えられません。つまり、故意に掲揚していないということになります。一国の海軍艦艇が、故意に国際法を無視して軍艦旗を掲揚することなく公海上で行動しているのです。

 あまり注目されていませんが、同艦と行動を共にしていたと思われる韓国海警察庁警備艦「サンボンギョ」についてはどうでしょうか。

 下の写真をご覧になれば判るとおり、やはり国籍旗を掲揚していません。司法警察権を行使すべき船が、自ら国際法(おそらく国内法も)に明確に違反する状態で行動していることがわかります。

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 FCレーダーの照射以前の基礎中の基礎の部分で、彼らの行動は「異常」なのです。

 この現場での彼らの行動について、国際的監視下に置かれている北朝鮮漁船による「瀬取り」を支援しているのではないかとの意見も聞かれますが、今回彼らが主張しているように「遭難漁船の救助に当たっていた」との説明をすれば足りる話で、軍艦旗や国旗をわざわざ掲揚しない理由にはなりません。それどころか、わざわざ異常な状態で白昼堂々と行動することにより、「俺たちに注目してくれ」と言っているようなものです。何故、このようなことが起きているのでしょう。

 ここからは、全くの私見であり、何の根拠もありません。

 経験豊かな海軍艦艇や海洋警察庁船艇が、このような船乗りの常識では考えられないような異常な状態で行動しているのは、海事や軍事に関する知識には乏しいが、絶大な権限を持っている者の、浅知恵に基づく命令に従わざるを得なかったからではないかと思えるのです。それが「瀬取り」支援なのかどうかはわかりませんが、国際的に違法な活動を命じられ、「旗をおろしておけば、いくらでも言い逃れできるのだから、掲揚するな」と指示されていたのではないでしょうか。そのような艦艇乗員の誇りを踏みにじる指示を安易に下せるのは軍籍にない者しかいません。つまり、海軍や海洋警察庁が主管する作戦ではないということです。

 私も、この事件が起きた当初は「韓国海軍は何を考えているんだ」と憤りを感じましたが、その後じっくり考えていくと、どうも合点がいかず、上記のように捉え直して見ると、FCレーダー照射は、広開土大王艦長の敵対的意思というよりは、SOSだったのではないかと思えてきたのです。

 FCレーダー波の諸元は、どの国の軍隊にあっても秘匿すべき情報です。ですから、例え友好国であったとしても、外国の艦艇・航空機が近傍にいる際には、電波封止の措置が取られます。それをわざわざ照射するということは、「諸元を収集されても構わない、だって撃墜するから」という意思表示と捉えられても仕方ないでしょう。

 そのような常識からは考えられない行動、しかも海軍間の不測事態防止のために取り決められた多国間協定(CUES)にも抵触するような、間違いなく大問題に発展するような行動を広開土大王艦長が行った背景には「俺たちはこんなことやりたくないんだ。この現場のことが注目されるように問題化してくれ」という悲痛な思いがあったのではないかと想像するのです。そうでも考えなければ、一連の異常な出来事の説明ができないからです。

 先の旭日旗問題もそうですが、韓国海軍の意思だとはとても思えません。私自身は韓国海軍を敵性勢力だとは思いませんし、彼らだって海上自衛隊を敵だとは思っていないと思います。そんな彼らの意思とは無関係に、韓国国内に蠢く薄気味の悪い思念が、様々形を変えて表出しているのが現在の状況ではないかと思います。

 再度申し上げますが、単なる私見で、何の根拠もありません。そんな見方もあるのかなと読み流していただけると幸いです。

 最後に、防衛省が公表した現場での撮影動画を貼っておきます。

 

www.youtube.com

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【追記】

1月6日に続編を書きました。

retcapt1501.hatenablog.com

 

 

第35回防衛セミナーの報告(その2:演奏会編)

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 昨日、その1で防衛セミナーの講話編を報告しました。

retcapt1501.hatenablog.com

 今回は、お二人の講話に引き続き、同じステージ上で行われた東京音楽隊の演奏会について報告したいと思います。

 講話も各講師がそれぞれ30分の持ち時間でしたが、東京音楽隊による演奏会の枠も同じく30分であり、短い時間ではありましたが、非常に充実した内容でした。セミナーのテーマが「明治150年」ということもあり、東京音楽隊の演奏も、そのテーマに沿った選曲となっています。明治というテーマに絞った演奏会というのはなかなかありませんので、その意味でも大変興味深い演奏会でした。

 プログラム6曲、アンコール2曲の合計8曲でしたが、それぞれについてトレースして見たいと思います。

①ヘイルコロンビア

 この曲は、初代のアメリカ国歌です。ヘイル(heil)は万歳という意味で、コロンビア万歳という曲名です。では「コロンビア」とは? 南米にもコロンビアという国がありますし、アメリカ合衆国サウスカロライナ州の州都もコロンビアです。カナダにはブリティッシュコロンビア州があります。コロンブスにより発見されたという意味合いをもつ名称です。ですが、ここで言うコロンビアとはアメリカ合衆国の古名あるいは雅名であり、日本のことを大和と言うのと同じような位置付けになるようです。

 つまり、ヘイルコロンビアとは「合衆国万歳」ということですね。因みに、ナチスドイツにおいて敬礼の際に発せられた「ハイル・ヒトラー!」のハイルは綴りも意味もこのヘイルと同じです。

 1854年3月8日(嘉永七年二月十日)、合衆国海軍のペリー提督が横須賀の久里浜に上陸した際、艦隊付の軍楽隊が演奏したのがこの曲だと言われています。米海軍の上陸の様子を遠巻きに見ていた地元の住民は、初めて聞く洋楽に驚いたかもしれませんね。

 そんな当時の様子を想像しながら、東京音楽隊の演奏を聴くと、何やら感慨深いものがあります。

 

②維新マーチ〜宮さん宮さん

 荒木美佳さんによる曲の紹介が終わったにも関わらず、指揮台の樋口隊長が客席の方を向いたままなので、「あれ?」とは思いましたが、まさか会場右の入り口から奏者が演奏しながら入場してくるとは思いませんでした。意表をついた演出に「やられたな」と、素直に感心しました。維新マーチは、昔から何度も聴いたことのある馴染みの曲ですが、「維新マーチ」と言う曲名だということは、今回初めて知りました。今野高嗣さんのスネアドラムと目黒渚さんのピッコロによるスペシャルユニットが、この曲を奏でながらステージまでの通路を練り歩きます。

 ステージに上がり、客席を向いたお二人は、維新マーチから「宮さん宮さん」へと曲を繋ぎます。荒木美佳さんの前説によれば、「宮さん」とは、明治新政府総裁にして東征大総督であった有栖川宮熾仁親王を指すようです。

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有栖川宮熾仁親王 - Wikipedia

 目黒さんのピッコロを単独で聴く機会というのもそうあるものでもありませんし、なんとも奇抜な演出で、とても印象に残る演奏となりました。

 

NHK大河ドラマ西郷どん」メインテーマ

 この曲は、東京音楽隊が昨年多くの演奏会で演奏した、NHK人気大河ドラマのメインテーマです。私も、昭和女子大で行われたインクルージョンフェスティバルでの、「驚きの演奏会」とオペラシティでの「音楽の玉手箱」に引き続き、3度目の機会となりました。演奏途中から三宅由佳莉さんが登場して、ヴォカリーズを聴かせてくれるのですが、聴くたびに情緒的な表現が深まってきた感じがします。動画をご覧いただければ分かると思いますが、ヴォカリーズの最後の歌い上げなどまさに、身をもって我が国の礎となった西郷どんへの追慕の念を曲に吹き込まんとする気迫を感じます。

 大河ドラマのテーマですので、今年は演奏されることもないでしょう。その意味で、集大成の演奏であり、歌唱であったのだろうと思います。

 

④広瀬中佐

 海軍中佐広瀬武夫の勇敢かつ壮絶な最期を描いた曲ですが、哀調に陥ることなく勇壮な曲調となっています。「佐久間艇長」や「勇敢なる水兵」にも言えることですが、壮絶な最期ではあっても、軍人としての本分を全うしたことを勇壮に讃えることが、却って本人の死に肯定的な意義を与え、報いることになるとの思考が汲み取れます。

 私見ではありますが、昭和期の軍歌あるいは軍事歌謡には、哀調を帯びた曲が少なくないような気がしますし、その背景には軍人の死生観の視点というものが国家レベルから私人レベルに移行する傾向があったのではないかという気がしています。

 さて、広瀬中佐です。その誠実で質実剛健な性格から広い交友関係を持っていた広瀬ですが、生涯独身でした。ロシア語に堪能で、駐在武官として勤務していた際には、モスクワの社交界でも人気があったようです。アナトリー・コワリスキー大佐の娘アリアズナとの純朴なロマンスは有名で、旅順閉塞作戦で広瀬が戦死したとの報に、アリアズナは喪に服したと言います。

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広瀬武夫 - Wikipedia

 我が国初の軍神となった広瀬中佐のことを偲びながら、川上良司・海曹長の馥郁とした歌声を聴くと、一層の味わいが感じられます。

 

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」より「スタンド・アローン」

 この曲については、何も言う必要がないでしょう。三宅由佳莉さんの代表曲の一つだと私は思っています。ここ2年ほど公の場で歌われる機会がありませんでしたので、内心寂しい気がしていましたが、昨年6月の全自衛隊空手道選手権大会で歌われたとの情報に接し大変嬉しく思いました。歌い続けていてくれることがわかっただけでもありがたいことだったのです。それが、東郷の杜音楽祭では、予想もしていなかったこの曲がアンコールで歌われたのですから、どれほど感動したことでしょう。そして今回、再び生演奏でこの曲を聴くことができました。本当に幸運と言う他ありません。

 2016年の橿原神武祭で歌われた「STAND ALONE」は、まさに名唱と呼ぶに相応しいものだったと思います。大変人気が高いですよね。私の中にも橿原のイメージがしっかり出来上がっていました。

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 ところが、東郷の杜での「STAND ALONE」は、それとは違うイメージを私に与えました。「何だろう」その時はよくわかりませんでした。

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 そして今回、再び生の演奏を聴き、明らかな違いがあることを確信しました。

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 歌唱法について私は知見を持ちませんが、以前とは異なるのではないかと思いますし、2016年までに作り上げた歌に細部表現を織り込もうとされているように感じられます。技術的なことはわかりませんが、感覚で申し上げるならば、描いている世界がより大きくなっているということです。

 これは、先月14日にトリフォニーホールで「見上げてごらん夜の星を」を拝聴した際に感じたものと非常によく似ています。その時の感想を引用します。

この歌に乗せる思いが、ずっと深く掘り下げられているのを感じました。どう表現していいのかわかりませんが、私の感じたのは多分こんなことだと思います。動画の三宅さんは、聴く者と同じ目線で、目の前にいる誰かに語るように歌っておられるのですが、今回のステージでの三宅さんは、あらゆる人々への慈愛に満ちた、そんな力強さを感じさせました。まさに超然とした、という表現が似合います。最後に両手を左右に広げる様は、圧巻でした。この数年で、どれほど成長されたのかがこの曲でよくわかりました。いや、素晴らしい以外に言葉が見つかりません。

 20代に到達した一つの境地を乗り越え、新たな殻を破るかのように更なる高みを目指して歩み続けている姿を見た気がしました。

 

⑥小栗のまなざし

 今回の防衛セミナーにおけるプログラムの最終曲として、これ以上相応しい作品はないかもしれません。幕末から現代に至る横須賀の発展と海軍の建設に大きく貢献し、足腰の強い国力の基盤を創り上げながら、非業の死を遂げざるを得なかった小栗公。その胸中に思いを馳せながら、東京音楽隊が心を込めて奏でるこの曲を聴くとき、先人への感謝の気持ちが自然と湧いてきますし、混乱の中にあっても、この国の行く末をしっかりと見つめていた確かなまなざしに、我々が学ぶことは多いのではないかと、改めて思わずにはいられません。

 素晴らしいプログラムだったと思います。

 

アンコール曲

 プログラム終了後、指揮台を降りて喝采に応える樋口隊長ですが、鳴り止まない拍手に、ゆっくり指揮台に近づき、観客に向かって「じゃぁ1曲ね」という感じで可愛く人差し指を立てて、会場の笑いを取りながら喜ばせます。こういうユーモラスな小技が豊富なのも、樋口隊長の持ち味の一つだと思います。

いい日旅立ち

 奏でられたのは「いい日旅立ち」でした。一昨年の10月にリリースされたアルバム「SING JAPAN」に最終曲として収められていますが、今回はセミナーのテーマでもあり、開催地でもある横須賀に所縁の深い山口百恵さんの曲が選ばれたということなのだと思います。

 アルバムでしか聞いたことのないこの曲、三宅由佳莉さんの生の歌声をステージで聴くことができて幸運でした。アルバム収録では、密やかに囁くような歌い方ですが、ステージ上では、はるかに表現の幅が広がります。

 昨年の7月以降、三宅由佳莉さんの歌を生で拝聴する機会が大変多くなりましたが、それまで私が聴いていた動画やアルバムの三宅さんとは違うという感覚はなんとなくありました。

 更なる高みを目指していることも確かだと思いますが、自らに定着しているイメージを変えていこうとされているのではないでしょうか。あるいは、新たな顔を創り上げようとされていると言った方がいいのかも知れません。

 

②行進曲「軍艦」

 そして本当の最終曲は、もちろん行進曲「軍艦」です。

 川上良司さんと三宅由佳莉さんによるヴォーカルは、今や定番と言っても良いほど定着していますね。この曲を歌うお二人の左手の拳もやはり握られています。つまり「気を付け」の姿勢で歌っているのです。そういうところに歌い手の気持ちが現れます。

 そして、歌い終わった後は、お辞儀ではなく10度の敬礼。見ていてとても気持ちがいいですね。何度でも聴きたい曲です。

 

 縷縷綴ってまいりましたが、「能書きより動画を見せろ」という声にお応えして、当日の動画を貼っておきます。どうぞ全体を通してお楽しみください。

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第35回防衛セミナーの報告(その1:講話編)

 昨年の書き残しのひとつである防衛セミナーについては、少しづつ記事を書き進めてはいたのですが、年内投稿には間に合いませんでした。2週間遅れなりましたが、報告させていただきたいと思います。

 なお、演奏会の動画をアップしたことだけは、既に報告済みです。

retcapt1501.hatenablog.com

 2018年12月18日(火)、横須賀芸術劇場で開催された「第35回防衛セミナー」を聴講して参りました。

 今回の防衛セミナーのタイトルは「明治150年記念セミナー 〜旧軍港都市横須賀の歴史〜」というものでした。

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 プログラムをご覧になるとわかりますが、セミナーの冒頭に「国歌独唱」が行われました。もちろん、三宅由佳莉さんです。私もこの独唱をスマホで撮影したのですが、直立不動の姿勢でのノーファインダー撮影となったため、画面を観ながらの露光調整ができず、せっかく独唱中の三宅さんの顔が照明でハレーションを起こしてしまいました。公開するにはあまりのデキだったものですから、記事への埋め込み動画をどうするか思案していたところ、kevin_dayo_dayoさんがアップしてくださった動画を発見しましたので、リンクを貼っておきます。埋め込み再生ができない設定になっているようですので、サイトまで飛んでお楽しみください。動画をご覧になると分かりますが、三宅由佳莉さんは両手の拳を握りしめて歌っています。これは、自衛隊における「気を付け」の姿勢です。国歌の独唱にあたり、その姿勢で臨まれているということです。

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 防衛省の行事では、このように国歌独唱で始まる機会がとても増えています。かつては国歌の吹奏や斉唱が圧倒的に多かったですし、それはそれで素晴らしいのですが、プロの声楽家による独唱は、この歌が持つ恒久平和への祈りというものを、より研ぎ澄まされた形で伝えてくれる気がいたします。

 国歌独唱で幕を開けた防衛セミナーですが、今回の主催は「南関東防衛局」ですので、まず、掘地徹(ほっち・とおる)南関東防衛局長より開会のご挨拶がありました。

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 引き続き、今回の防衛セミナーを後援する横須賀市の上地克明(かみじ・かつあき)市長のご挨拶をいただきました。

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  そしていよいよ、講演が始まります。

 最初は、防衛省海上幕僚監部防衛部に所属されている金澤博之(かなざわ・ひろゆき)3等海佐による「明治150年と日本の近代海軍建設」と題した講演でした。金澤3佐は、「慶應義塾大学・大学院で日本史を専攻したのち、2002年に海上自衛隊に入隊。横須賀地方総監部、防衛研究所戦史研究センター等を経て、現在、海上幕僚監部防衛部に勤務。2014年に防衛大学校総合安全保障研究科後期博士課程を終了。博士(安全保障学)。主著『幕末海軍の興亡』(慶應義塾大学出版会、2017年)で、安全保障分野における優れた研究成果に対して与えられる『猪木正道賞(正賞)』を、防衛省職員として初めて受賞」(セミナーパンフレットより)された俊英です。

 経歴をご覧になればわかるとおり学者さんですが、もちろん自衛官としての専門職種をお持ちで、勤務に勤しむ傍らで学者としての研鑽を積んでおられるのです。左胸に艦艇徽章やウイングマークは装着されておらず、確か、海幕防衛部施設課所属と紹介されていたと思いますので、職種は施設なのかもしれません。海上自衛隊にも、数は非常に限られていますが施設を専門とする幹部がいます。

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 30分という、非常に限られた持ち時間の中で「明治150年と日本の近代海軍建設」という大きなテーマを展開するのは大変だと思います。それでも、時折冗談を交えながら、門外漢にも分かりやすく話をされるので、ついつい引き込まれてしまいました。

 短い時間にも関わらず、講和内容は多岐に亘りましたが、私なりに咀嚼するならば、その骨子は次のようなものです。

 帝国海軍が生まれたのは確かに明治政府の下ですが、ゼロからの建設であったならば、日清・日露戦争での大海戦を戦うことはできなかったはずです。江戸時代末期にペリー艦隊が来航する以前から、徳川幕府は、戦国時代を通じ、海賊集団から水軍へと変容し、独立した私兵として諸大名に加勢したり敵対したりしながら大きな影響力を発揮してきた諸水軍を「船手」として再編し、さらに幕府の直轄軍事力として隷下に収めていましたが、とても近代海軍と呼べるようなものではありませんでした。

 ペリーの来航により近代海軍の保有が焦眉の急であることを認識した幕府は、その建設に着手します。驚くべきことに、ペリー来航からわずか7年後の1860年には、太平洋を横断して咸臨丸の米国派遣に成功し、米国民からは驚嘆を込めた大歓迎を受けていますが、その基盤には長年に渡り慣海性を身につけてきた「船手」衆という熟練者集団の存在があります。

 また、鋼鉄製の軍艦を建造するためには、大規模な製鉄所と造船所、更には製鉄に必要な石炭の採掘・輸送などのインフラ整備が不可欠でした。

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 勘定奉行小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)は、長崎と横須賀における製鉄所と造船所の建設を推進し、これらへ給炭する仕組みを作り上げていきます。幕府内には、巨額の予算を必要とするこれら事業への反対論も強かったのですが、小栗はそれらを退けます。

 時勢から、幕府が倒れるのを予感していたからでしょうか、(新政府に)遺してやれるものができたというような発言もあったようです。

 因みに、講話では触れられませんでしたが、日本海海戦に勝利した東郷平八郎元帥は、明治新政府の手により罪なきまま斬首された小栗忠順の子孫を自邸に招き、今次海戦に勝つことができたのは、小栗忠順が遺した施設のおかげであると礼を述べたとのことです。真のエリートとは、小栗のような人を言うのでしょう。

 このように、江戸幕府の尽力により築かれたインフラや、徳川家の下で建設が始まった近代海軍の数多くの失敗から得られた教訓の蓄積といったものが、明治政府にそのまま引き継がれたからこそ、極めて短期間に近代的な帝国海軍が生まれたと言えます。

 草創期における明治海軍の主要艦艇は、ほぼ徳川幕府海軍のものでしたし、人員構成でも、幕府海軍出身者が最多(約30%)だったことからも、そのことがわかります。

 金澤3佐は、日本各地に多く残されている海軍史跡について、実証研究を進めることが必要であると述べていました。史実と神話の線引きを確実に行うことにより、我々が歴史から学ぶべきことを明らかにするとともに、それら史跡の観光資源としての価値をしっかり裏付けていくことが必要だとご教示いただきました。

 若き研究者、金澤3佐の今後の研究成果に大いに期待したいと思います。

 

 次に講話されたのは、横須賀市自然・人文博物館で学芸員を勤められている、安池尋幸(やすいけ・ひろゆき)氏で、「横須賀市に芽生えた近代技術」と題した興味深いお話でした。

 安池さんは、「國學院大学大学院で日本史を専攻。1982年の横須賀自然・人文博物館の設立より学芸員として勤務。長年地域に密着した研究テーマに取り組む。主な著書として、『三浦半島自然と人文の世界』(神奈川新聞社、2009年)『新稿三浦半島通史』(文芸社、2005年)がある。また、市民向け講座や野外見学会を多数実施。旧横須賀製鉄所に設置されていたスチームハンマー(国指定文化財)を題材とした教材用DVDも制作している」(セミナーパンフレットより)方です。

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 この講話も大変興味深かったのですが、生憎、レジュメがあっさりしているものですから、ほぼほぼ私の記憶のみに頼った内容となります。

 横須賀市に製鉄所と造船所が開設され、海軍横須賀鎮守府が置かれたことにより、海軍の街として横須賀が発展してきたことは間違いありません。幕末から明治初期にかけて建設されたこれら施設の多くが、未だに現役として活躍しています。

 もっとも、明治の初期には十分な建造能力があった訳ではなく、海外に発注して建造してもらった艦艇も少なくありません。日本海海戦で旗艦として活躍した戦艦「三笠」も英国に発注して建造され、日清・日露の海戦を戦いました。日本海海戦の際、英国の観戦武官が同艦に乗艦してその戦いぶりを記録し、この艦の欠陥を本国に報告しました。その報告を受けて建造されたのが「ドレッド・ノート」型戦艦です。つまり、艦の上面や重要区画の防御を強化するため、装甲を厚くし、砲を増やし、しかも速力を増した強力な戦艦が登場した訳です。

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 因みに、今でもよく使われる「超ド級」という言葉の「ド」はドレッドノートのことです。つまり、ドレッドノート型を凌ぐ戦艦建造が話題となっていた時代に使われた「超ド級」という言葉が、その響きの良さから今でも使われている訳です。

 ドレッドノート級戦艦の建造が世界の潮流となり、日本もこれに参戦していくことになりますが、その舞台が横須賀造船所だった訳です。

 造船だけではなく、横須賀には、海軍機関学校や海軍通信学校が置かれ、海軍の中でも技術系の優秀な兵員が数多く横須賀で教育を受けていました。明治以来、海軍建設を通じて横須賀に芽生えた近代技術をリードしていくという気風・伝統のようなものは今にも受け継がれており、最近、横須賀市の高校生が、第6世代スマートフォンの基礎技術に関する特許を取得しました。

 興味深い話は、もっともっとたくさんあったのですが、ちょっと時間が経ちすぎて、印象的なものしか記憶から取り出すことができませんでした。

 何れにしても、私が若き日の4年間を過ごした横須賀ですが、知らないことばかりで、本当に興味の尽きない講話でした。

 

 地方防衛局主催の防衛セミナーに参加したのは初めてですが、正直言って、これほど興味深い内容の話が聴けるとは期待していませんでした。嬉しい誤算です。今後も近くで開催される際には是非参加してみたいと思いました。

 日本各地で開催されているはずですので、よろしければ皆様も会場で聴講されてはいかがでしょうか。

 長くなりましたので、演奏会については別記事にしたいと思います。

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新年を迎え

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 ここ横浜は、雲ひとつない蒼空に陽光満ち溢れ、風もない穏やかな新年の幕開けを迎えています。

 皆様、あけましておめでとう御座います。

 大晦日から1日経っただけで、何が変わるというものでもありませんが、やはり節目というものは大切ですね。昨年の出来損ないだった自分を一旦リセットして、今年こそ頑張ろうと思うことができるからです。

 結局はまた出来損ないのまま終わるのかもしれませんが、間違いなく何か一つくらいは成長しているものです。それでいいんだと思います。

 一人の人間にできることなんてほんの僅かしかありません。それでも、やれることを精一杯やっていきたいと思います。

 本年が、皆様にとって充実した一年でありますように。

 そして、東京音楽隊海上自衛隊の更なる活躍、三宅由佳莉さんの成長などを見守りつつ、愛する祖国日本のため、微力ながら活動を続けて参りますので、引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。

 

 平成31年元旦

 

 

 

 

 

一年を振り返って

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 久しぶりに記事を書こうと思ったら、もう大晦日ですね。皆様にとって、今年はどんな1年だったでしょうか。

 昨年の9月にこのブログを書き始めた私にとっては、とてもインパクトの大きい1年となりました。

 特に7月以降、東京音楽隊の演奏を間近で楽しむ機会が突然増え、三宅由佳莉さんの歌を目の前で拝聴することも何度かありました。それまでは、半ば観念の世界にあった東京音楽隊を、現実の存在として把握するプロセスでもあったように思います。

 演奏会の報告記事を何本も書きましたが、報告というよりは、自分なりに演奏会をレビューすることで、東京音楽隊や、個々の隊員の皆さんに対する理解を深める道程であったと言うべきかもしれません。

 この間、多くの方々から記事へのコメントを通じて、励ましやアドバイスを頂きましたし、様々寄せられる感想などから新たな記事への着想を得ることも少なくありませんでした。皆様に支えられていることを実感します。

 また、多くの演奏会に足を運ぶことで、東京音楽隊のファンの皆様との対面での交流の輪が広がったことも意義深いことでした。それぞれが抱く思いを直接交換できることは、また別次元の世界を創り出してくれます。お会いできた皆様との直接の会話は、短い時間ではあっても、いつも新たな刺激を与えてくれました。皆様ありがとうございました。

 今年の終盤は、なかなか記事を書く時間が確保できず、何日も投稿できないことが度々ありました。記事に頂くコメントにもタイムリーな反応ができず、失礼したことも少なくなかったと思います。申し訳ありませんでした。

 そんな状態で今年を終えることになってしまいましたが、書きたいこと、書き残したことがたくさんあります。

 迎える2019年は、また新たな気持ちで、記事を書いて行きたいと思いますので、引き続きお付き合い頂けると幸いです。