あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

今日は何の日?(9月16日)

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 「メフテル」をご存知でしょうか。

 え?「銀河鉄道999」の?そりゃ「メーテル」だ。

 メフテルとはオスマン帝国(現・トルコ共和国)の常備軍の中で独自の発展を遂げた音楽(軍楽)です。より正確には、軍楽隊の個々の隊員を指すそうで、オスマンの軍装に身を包んだ軍楽隊のことをメフテルと呼んだりすることもあるようです。

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 我が国で最も有名な、というかよく耳に馴染んだメフテルといえば「ジェッディン・デデン/Ceddin Deden」でしょう。お聴きください。

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 勇壮かつ悲愴な決意が感じ取れるこの軍楽の歌詞(訳)は以下のとおりです。

ジェッディン・デデン Ceddin Deden(祖先も祖父も)

1祖先も 祖父も
 祖先も 祖父も
 勇猛なるトルコよ!

 汝の軍隊は幾度となく
 世界にその名を轟かす!
 汝の軍隊は幾度となく
 世界にその名を轟かす!

2トルコ国家よ トルコ国家よ
 トルコ国家よ トルコ国家よ
 汝の自由を享受せん!

 祖国の敵を打ち負かし
 忌わしき奴等に絶望を与えん!
 祖国の敵を打ち負かし
 忌わしき奴等に絶望を与えん!

 17世紀に最大版図を誇ったオスマン帝国は、言わずと知れたイスラムの大帝国であり、長い間ヨーロッパの人々にとって深刻な脅威であり続けました。欧州の各諸侯軍は、オスマン軍の影も形も見えないうちから、風に乗って届くメフテルの響きに震え上がったそうです。それでもメフテルは、音楽家にとっては刺激的な存在であったようで、2度にわたるオスマン帝国軍のウィーン包囲戦の最中、オスマン軍から流れる調べがモーツァルトやベートーベンを魅了したからこそ、その影響を受けた、それぞれの「トルコ行進曲」が生まれたという訳です。

 そんなオスマン帝国も、19世紀に入り北から勃興してきたロシアに押される形でその勢力を弱めて行きました。そして1878年(明治11年)の露土戦争に破れたオスマン帝国は、サン・ステファノ条約により多額の賠償金を供出させられた上に、バルカン半島の大部分を手放すことになりました。

 当時の日本で、オスマン・トルコ帝国はどのように認識されていたのでしょう。

 まだ研究が十分に進んでいない分野なので、確たることは言えませんが、2016年12月発行の「東洋大学社会学部紀要」に収録された三沢伸生さんの「明治期の日本社会における露土戦争の認識」という論文を読むと、創設間もない帝国陸海軍の露土戦争そしてオスマン・トルコに対する並々ならない関心の高さが感じられます。

 下の画像は三沢さんの論文が掲載されたページにリンクしていますので、興味のある方は、そちらで論文名を検索のうえ、PDFファイルをダウンロードしてください。

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 国交樹立前から、視察や留学のために欧州方面に行き来する軍人を必ずイスタンブールに立ち寄らせたり、海軍艦艇を何度か寄港させたりしていたようです。当時の明治政府の意図が何であったかは今後の研究成果に待たねばなりませんが、直感的には、仮想敵と認識されつつあったロシアを強く意識した動きだったのだと思います。

 そのような流れの一つが、1887年(明治20年)の小松宮彰仁親王殿下のイスタンブールご訪問ではなかったかと私は考えています。殿下は、欧州視察の帰路、オスマン・トルコ帝国に立ち寄られ、スルタン(皇帝)アブデュル・ハミト2世に謁見されました。

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小松宮殿下・中央左、とアブデュル・ハミト2世・同右、白軍装・帯刀)

 この時殿下がお受けになられた歓待への感謝の御気持ちとして、翌1888年(明治21年)、明治大帝はスルタンへの親書と装飾品(漆器)を御贈りになりました。

 ここからが、今回の本題です。随分長い前置きでしたね、でも頑張ってもう少し読みましょう(╹◡╹)

 アブデュル・ハミト2世陛下は、さらに翌年の1889年(明治22年)7月に明治大帝からの親書への返礼として、日本への初めての使節団を派遣しました。

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(エミン・オスマン海軍少将)

 エミン・オスマン海軍少将を代表とする使節団は、オスマン帝国海軍フリゲート「エルトゥールル」に乗艦しての日本訪問となりました(「エルトゥールル号」と呼称されるケースが多いようですが、海軍艦艇の艦名に「号」は付さないのが慣例ですので、ここではそれに倣います)。

 「エルトゥールル」は、艦齢26年のベテラン(即ち老朽艦)であり、しかも、木造の機帆船(エンジンを搭載した帆船)でした。

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オスマン・トルコ海軍フリゲート「エルトゥールル」)

 同艦は、途中イスラム圏の各国に寄港して、イスラムの盟主たるオスマン帝国皇帝の威光を顕示しつつ約1年をかけて回航し、1890年(明治23年)6月に横浜港に入港しました。

 エミン・オスマン海軍少将は、明治大帝に拝謁し、以後約3ヶ月間にわたり、日本に滞在しました。同年9月に日本を発つのは予定通りなのですが、日本側の関係者らは、台風の季節でもあることから、老朽化した木造の艦体を修理補強してから出発してはどうかとアドバイスしました。しかし、帰国が遅くなることを嫌ったオスマン少将は予定通り9月15日に横浜港を出航して帰国の途につきました。

 気象衛星どころか、気象レーダーさえない時代です。日本のすぐ近海まで迫っている台風の存在など、誰にも知る術がありませんでした。

 横浜を出航した翌日、128年前の今日、夜半に和歌山県大島村(現・串本町)沖を航行中の同艦は、台風による暴風と波浪に翻弄されてコントロールを失い、同村にある樫野埼灯台付近の難所、船甲羅岩礁に吹き寄せられて座礁、艦体が裂けそこからの浸水がエンジンに入ったため大爆発を起こし沈没しました。

 座礁と大爆発の直接的な受傷による他、海に投げ出された者も、猛り狂う波浪によって一面の岩礁に何度も叩きつけられ、多くの命が失われました。

 瀕死の状態で海岸まで流れ着いた満身創痍の乗組員が、真っ暗闇の暴風雨の中で唯一の灯りであった樫野崎灯台までの崖を必死の思いで登り、灯台守に姿を晒すことができたおかげで悲惨な海難事故が起きていることが認識されました。灯台守は真っ暗闇の中、大島村へ走り急を告げます。小さな村の住民は総出で駆けつけ、男たちは海岸での救出と救護、女達は生存者の手当と介護に当たりました。海岸に打ち上げられ低体温症に陥っている者には、男達が諸肌脱いで自らの体温を与え、一人でも多くの命を救おうと、文字通り不眠不休の救出活動が続きました。

 こうして、69名の命がつながりましたが、使節団長・エミン・オスマン海軍少将はじめ約600名がこの事故の犠牲となりました。大島村の住民は、収容した遺体も丁寧に埋葬しました。

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(「エルトゥールル」乗員)

 本土とは船でしか行き来できない大島村は、台風で孤立し、漁もできず、村人の食料さえままならない状態でしたが、69名もの遭難者を救うため、手持ちの食料は全部供出し、本当に困ったときのためのライフラインとして各家庭で飼育している鶏まで全てを彼らに食べさせるために差し出したそうです。「お天道様が守ってくださる」と。

 台風が去って、本土に情報が伝えられ、日本の行政サイドがこの事故のことを知るや、国をあげての救援態勢が敷かれることとなりました。また、この事故のことは新聞でも大々的に取り上げられたため、国民の強い関心を集め、多くの人々からの義捐金も寄せられました。生存者69名は、神戸の救護病院に移されて手厚い治療を受け、元気を取り戻した後、大命により軍艦「金剛」「比叡」にて本国まで丁重に送り届けることとされました。

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(神戸救護病院前での記念撮影)

 1891年1月12日、イスタンブールに入港した両艦は大歓迎を受け、皇帝陛下からは、両艦艦長に対し勲章が授与されました。自国の軍艦が外国訪問中に座礁爆沈し、多数の将兵の命が失われた痛ましい事故ではありましたが、事故後の日本人の懸命の救助救命活動や、国をあげての支援、また多くの国民から義捐金が寄せられたことなどはオスマン・トルコの人々の心を打ち、現在まで続く両国の友好関係の先駆けとなりました。

 5月27日に「何の日」シリーズで日本海海戦を取り上げましたが、トルコ国民が日本の勝利を我が事のように喜んだのも、単に宿敵ロシアの海軍を破ったからだけでなく、「エルトゥールル」以来の親日感情が強かったからだと思います。

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 記事冒頭の写真は串本町にある「トルコ軍艦遭難慰霊碑」です。5年に1度日本・トルコの関係者による慰霊祭が行われ、海上自衛隊からも多数が列席します。

 この話には後日談があります。

 「エルトゥールル」の悲劇から95年を経た1985年3月17日、イラン・イラク戦争のさなか、一方の当事国であるイラクの大統領サダム・フセインは、「48時間を経過した後、(戦争相手国である)イラン上空を飛行する全ての航空機を攻撃対象とする」と世界に向けて宣言したのです。

 もちろん、そのような行為は、各種の国際条約や戦時国際法に抵触するものであり、認められるはずもありませんが、純軍事的には画期的な意味を持ちます。

 航空作戦で最も神経を使うのが、敵味方の識別だからです。ある空域に存在するのが敵航空機だけだとすれば、これほど簡単なことはありません。狡猾なのは、期限を宣言しただけで、具体的な攻撃を始めた訳ではありませんから、誰も手出しのしようがありません、非難するだけです。フセイン大統領にとって、そんなものは痛くも痒くもありません。

 実際の攻撃が行われるかどうかは誰にもわかりませんが、その可能性がある空域を飛ぶ民間機は無くなります。つまり、実際の攻撃を行うことなく、完全に目的を達成できる訳ですから、天才的な作戦だと言えるでしょう。

 空路が使用できなくなれば、イランに滞在している自国民は帰国の自由を奪われることになる訳ですから、各国は自国の軍用機や民間チャーター機を次々とテヘラン空港に向かわせ、手際よく自国民の救出に当たりました。一方、我が国では、なすすべも無く時間だけが空費されていきました。

 現在では考えられないことですが、当時の日本では、自衛隊の部隊が国外に派遣されることなど、想定外のさらにもっと向こうの話であって、そんなことだけは絶対に「許さない」という時代でしたから、自衛隊機による救出はオプションに入りません。もっとも、そもそも国内での活動しか想定できない自衛隊には足の長い航空機もありませんでしたから、物理的にも無理な話でした。

 ですから、日本政府は、当時我が国で唯一国際運航を担っていた日本航空にチャーター便の手配を依頼したのですが、「乗員の安全が確保されない限り応じない」という、絶対にクリアできない条件を突きつける労働組合の事実上の拒否により、断念せざるを得ませんでした。

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 因みに、政府の打診を受けた日本航空で、真っ先に志願したのは、この年の8月12日、整備不良のため飛行中に操縦機能を失い墜落した日航123便の機長、高濱雅巳さんだったそうです。海上自衛隊の先輩である高濱さんの心意気に共感します。

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 日本航空の協力が得られなかった外務省は各国に救援機の手配を依頼しますが、どの国も自国民の救出に手一杯ですし、そもそも自国は一切のリスクを取らずに他国に丸投げするような国の国民を、一体誰が危険を冒してまで救出するでしょうか。

 最後の頼みと、野村豊・駐イラン日本国特命全権大使が、個人的な親交関係により、同じくテヘランに駐在していたトルコ共和国特命全権大使イスメット・ビルセル氏に窮状を打ち明けたところ、直ちに本国に打診し、本国政府から「応ずる」との回答を得ました。驚くほど早い対応です。

 生憎、トルコ政府が応諾した日時については承知していませんが、それまでの経緯を見る限り、十分な時間が残されていた段階ではないと思います。そもそも、48時間の期限を切られた時点で、「間に合うかどうか」というほどの切迫した事態なのですから。

 トルコ政府は、自国民救出のための最終便を1機から2機に増やして対応したと、色々な記事にさらっと書いてありますが、航空機を1機増やすのは、居酒屋で「枝豆もう1つお願い」と言うようなわけにはいかないのです。

 期限が切迫していますから、直ちに飛べる機体とクルーの確保が絶対条件ですが、民間航空会社には、「遊んでいる」機体はありません。1機を捻出するために払われた努力がどれほどなのか想像もつきません。そしてクルーです。土壇場になっての追加便ですから、期限内にイラン上空を出ることができないかも知れません。大変危険な任務になります。ところが、トルコ航空がクルーを募ったところ、多数の志願があったそうです。

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 更に、チャーター便を増やしても、残留トルコ人と日本人の全員を収容することはできなかったようなのですが、何と、日本人を優先して搭乗させ、残ったトルコの人たちは陸路で本国へ向かったそうです。国境が接しているとは言え、トルコ・イランの国境付近は分離独立を求めるクルド人の勢力圏であり、決して安全なルートではないのです。それでも、トルコ政府もイランに駐在していたトルコの人々も、日本人の救出を優先してくれたのです。

 何故、そうしてまで日本人の救出に心を砕き、努力を傾けてくれたのか。

 もうお分かりですよね。

 トルコでは、1890年の「エルトゥールル」の悲劇と、日本人の献身的な救助救命活、そして国をあげての救援などについて学校の教科書にしっかり記述されており、トルコ人でこの逸話を知らない者はないのだそうです。だからこそ、トルコは今でも大の親日国であり、日本のことを「兄弟国」だと強く感じているのです。

 「今こそ、エルトゥールルの恩を返す時だ」

 トルコ政府も、トルコ航空のクルーも、そんな強い思いを抱いていたのだと思います。後日、駐日トルコ大使が「エルトゥールルで日本の皆さんから受けた恩を、トルコ人は忘れたことがありません。ですから、テヘランでのことは当然の恩返しなのです。日本人が知らないだけなのです」と仰っていたそうです。私たち日本人は、テヘランでの恩を、忘れずにいることができるでしょうか?

 100年以上前に、私たちの先達が示した「人のために尽くす」「今できることを精一杯やる」、そして、人様のために精一杯尽くしている限り「お天道様が守ってくださる」という生き様。似たような逸話は、有名無名を問わず、きっと数限りなくあるんだと思います。

 そういう一つ一つの誠意が、長い時を経て現在の私たちを守ってくれているのではないでしょうか。つまり、今ある日本は先達の遺産です。現在を生きる私達の力量ではないのだと思います。

 それに対して、現在の私たちは何をしているでしょう。先達の残された遺産をただただ食いつぶしているように思うのは私だけでしょうか。

 徳を積み、世界の人々のために誠意を持って力を尽くす。自分のことは後回しでいいから困っている人、困っている国をまず助けよう。汚れ仕事、嫌な仕事は真っ先に手をあげて、自分がやろう。かつてそうであったような、そんな社会、そんな国にならなければ、自分の子や孫に何も残してやることはできないでしょう。

 

 頭でっかちで、権利ばかり主張する。そんな国民に未来はありません。

海上自衛隊東京音楽隊の水曜コンサート2018(その3)

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 一昨日から、東京音楽隊のランチタイムコンサート(水曜コンサート)の様子を順次報告しています。「その1」では、開演前の会場の雰囲気や、図らずも三宅由佳莉さんにご挨拶してサインを頂いたこと、バリピルさんのイラストと三宅さんのツーショットまで撮らせて頂いたことなど、予想外の展開をお伝えしました。

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 「その2」では、三宅由佳莉さんにご挨拶するために列をなす多くのファンの皆さんへの、三宅さんの、とても丁寧で心温まる対応の様子を私のスマホ動画を交えて、また、肝心の演奏会の様子を、h1way2012さんの素晴らしい全編動画を交えて報告しました。

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 さて、通常であれば、水曜コンサートの翌日に新宿で行われたもう一つのランチタイムコンサート(木曜コンサート)の様子を、ネット上の資料や、実際に行かれた方からの情報に基づき整理した記事を書いているはずなのですが、今回は、自分が初めてこの目で見た水曜コンサートのインパクトがとても強いため、とにかくそれを書き切らないと、他のことが手に付かない感じです。

 まず、昨日報告した演奏会で感じたことなどをもう少し書いて見たいと思います。

 h1way2012さんの動画をこちらにも埋めておきますね。

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 東音単独演奏は前半の3曲だけでしたが、2曲めの「ソーラン・ファンク」は、多分今回が初めての演奏ではないでしょうか。想像の域を出ないのですが、9月6日の北海道胆振東部地震の被災者へのエールという意味を込めた選曲なのではないかと思いました。ただ、わずか6日で、曲をアレンジして練習し、仕上げるなんてことができるのでしょうか。東音なら、涼しい顔をしてやってのけるに違いないと思うからこその想像なのですが、どうでしょう。荒木さんの曲紹介にはそのようなことは一切触れられていませんでしたので、単なる偶然なのかもしれません。一つの謎として残しておきたいと思います。

 この曲では、各パートのソロ演奏も見所でした。

4:30 目黒渚さんのピッコロ・ソロで曲が始まります。

 目黒さんは、どの演奏会でもフルートとピッコロの両方を吹き分ける二刀流です。祭囃子のような音色がこの曲の幕開けにぴったりですね。

 ちょうど隊長の陰だったので、写真は取れませんでした。

6:05 沼田紘之さんのトロンボーン・ソロ

 沼田さんは、私のブログでご紹介するのは初めてです。陸海空音楽隊メンバーによる金管五重奏ユニット「TAX」でも活躍されています。音色が綺麗ですね。

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7:02 在川詩織さんのサックス・ソロ

 最近、演奏会でのソロ演奏の機会がめっきり増えてきた在川さん、格好いいソロが終わった後、会場全体に向かって手を振る姿が爽やかで、私は大好きです。

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7:19 谷口愛奈さんのトランペット・ソロ

 前に出てのソロは久しぶりなんじゃないでしょうか、小柄なのにダイナミックな演奏、そして演奏後の茶目っ気たっぷりな笑顔がチャームポイントです。

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 一人一人の演奏技術が高いレベルで完成しているからこそ、素晴らしい合奏になっていることがよくわかりますし、個々のメンバーと会場の距離感を縮めてもくれるソロ演奏、これからもたくさん聴かせて欲しいと思います。

 ところで、沼田さんのトロンボーン・ソロに入る直前、樋口隊長はステージに向かって左端のパーカッションパートへ移動、ご自分で叩き始めました。樋口さんは、こういうシーンが多いですね、本当に好きなんだな、と思います。

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 さて、そんな充実した演奏会が、アンコールの「軍艦」で幕を閉じた後のことについて見ていきたいと思います。

 演奏が終わったのは、ぴったり予定通りの1250(ひとふたごーまる)です。近くのオフィスから昼休みを使って来られた方々は職場へ戻られますし、ご近所以外から足を運ばれた方々も三々五々会場を後にされますが、やはり名残を惜しむファンの皆さんは、現地に留まり、音楽隊の皆さんが撤収作業をする様子を眺めたり、隊員の方々へのご挨拶をしたりしていました。

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 気づくと、三宅由佳莉さんの姿は見えませんでしたので、隊員控え室の方の片付け等に向かわれたのだと思います。食後の時間を全てファンサービスに費やされた三宅さんは、ご自分のことが何もできていなかった筈です。本当にありがたいことだったと思います。

 会場では、隊員総出での手際の良い撤収作業が展開されています。

 東京音楽隊は、自己完結を旨とする自衛隊の部隊ですから、そのこと自体は当然ですし、私も現役の頃なら特段何も感じなかったと思います。

 でも、部外から音楽家集団である東京音楽隊を見るようになった今、このような設営・撤収作業の手際よさは素晴らしいのですが、心配にもなります。楽器の片付けならともかく、重量物の運搬、積み上げや地面に這わせた各種ケーブルの回収作業などで、手指を負傷しないかが心配なのです。私のような者でも、利き手でもない左手のしかも小指の末節骨が自由に動かせなくなっただけで色々支障が出ているのに、一流の演奏家にとっては、手指に負った小さな傷でも、命取りになりかねないと思うからです。 

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 顔は隠れていますが、上の写真の中央やや左で腰をかがめて作業されているのはどなただかわかりますか? 白とブルーのグローブをつけて作業されているのは、ピアニストの太田紗和子さんです。

 男性でさえ、指先の感覚が狂うからと、鍵盤以外の物にやたらと触れないようにしているというような話すら聞こえてくるピアニストの世界に身を置きながら、グローブを嵌めているとはいえ、荒々しい作業に従事する姿を目の当たりにして、感じるところがありました。

 ありとあらゆるリスクを克服するための目に見えない努力と、細心の注意力をもって、このような日々の作業をテキパキとこなしておられるに違いないと思えたからです。他の皆さんも同じでしょう。

 華やかなステージでは決して見せることのない、このような裏方での皆さんの姿を見ることができるのも、ランチタイムコンサートの大きな意義ではないかと思います。

 書きたいことはまだありますが、とりあえず「その3」はこれで締めます。

 

海上自衛隊東京音楽隊の水曜コンサート2018(その2)

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 昨日に続き水曜コンサートの様子です。

 「その1」では、三宅由佳莉さんにご挨拶してサインをいただき、「いかづち」さんが練り上げた「プランB」が成功を納めたところまででした。

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 一つ書き忘れましたが、サインを頂いたあと、三宅由佳莉さんと握手させていただきました。暖かい手でした(╹◡╹)

 私たちのご挨拶が終わったのが、1130(ひとひとさんまる)頃でしたが、後ろには長蛇の列ができています。演奏会前の部隊集合時間が、確か1150(ひとひとごーまる)でしたので、食後の休憩を1秒も取ることなく、三宅さんは本番に臨むことになるのだろうなぁと思いました。

 「応援してます!」と言っている我々ファンが、結局、三宅さんの足を引っ張っている面が間違いなくあるのですが、ご挨拶したいファン、ファンの要望に応えたい三宅さん、双方の気持ちも大切です。だからファンとしての応援の仕方が、いつも議論になるのだと思いますし、ファンとしてどう弁えるべきなのかは、各自が考え続けなければならないテーマなのだと思います。また、脇道に逸れてしまいました(≧∀≦)

 というわけで、三宅由佳莉さんの、とても丁寧なファン対応が続きます。そんな様子を納めたのが下の動画です。もちろんスマホでの撮影です。

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 動画のラストで、「お待たせしました」と順番待ちしていた方に声をかけられているのが印象的です。

 一人一人に対し、本当に丁寧に対応される三宅由佳莉さん。でも、時刻はどんどん押していきます。列の後ろの方の方々の心情を察した三宅さんは「時間なら大丈夫ですから、安心してください」と声かけされていました。

 こういう、人柄がそのまま滲む対応がまた、彼女の人気を高めている理由の一つなんだと思います。

 とは言え、演奏会の開演が迫っています。1155(ひとひとごーごー)頃には川上良司さんが脇の方から心配そうに様子をご覧になっていました。

 

 さて、肝心の演奏会です。セットリストは、このようになっています。

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 この演奏会の全編を収録した動画がありましたので埋めます。

 h1way2012さん、いつもありがとうございます(╹◡╹)

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 初っ端の「海を超える握手」は、スーザの有名なマーチで、必ずどこかで聴いたことのある名曲です。

 2曲めの「ソーラン・ファンク」は、現在震災からの復興途上にある北海道の「ソーラン節」をファンキーなアレンジで聴かせてくれました。楽しかったです。

 3曲め「ハナミズキ」は一青窈さんのヒット曲ですね、911同時多発テロ直後にニューヨークの友人んから届いた一通のメールをきっかけに一気に書き上げたというこの曲、三宅由佳莉さんの歌が披露されました。とても丁寧に、一言一言を大切に歌ってらっしゃいます。上に素晴らしい動画がありますが、あえて自分がスマホで撮影した動画を埋めます(≧∀≦) 画面がちょっと傾いているという、手持ちのアナログ感が「売り」です、はは…(^^;

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 そして、後半、今回はジャズトランペッターの類家心平さんがゲスト出演されました。実は、類家さんは海上自衛隊大湊音楽隊に所属していた海自音楽隊OBなんだそうです。そんな関係もあり、またおそらくジャズ好きの樋口隊長の趣味も手伝って、このような形でのコラボが実現したのではないかと思います。

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 ソロ演奏も、東音のサックス奏者やトランペッターとのセッションも素晴らしかったのですが、最終曲目であるチュニジアの夜のラスト、類家さんのソロでのフリー演奏は見応えありました。演奏を止めて類家さんのフリーソロに任せる東京音楽隊は、最後を合わせるため、そのラストがいつ来るのかを予測しながらじっと聴いています。でも、終わりかけかな・・と思うとまた盛り上がったり、どこまで続くのか誰にもわからない展開に、コンサートマスターの横野さんが、時々「参ったな」という表情を見せるのが楽しかったです。私の席からは見えませんでしたが、荒木美佳さんも、最後のMCのためのステージ入りのタイミングをはかっておられたそうです。

 ライブの楽しみでした(╹◡╹)

 そして、アンコールに応えて演奏されるのは、もちろん「軍艦」ですが、なんと、類家さんもトランペット席に座って「軍艦」の演奏に加わります。

 演奏前、樋口隊長が客席に向かい「類家心平が、『軍艦』を演奏します」と紹介すると会場はひときわ盛り上がりました。

 勇壮な「軍艦」が赤坂のランチタイムに響き渡り、この日の演奏会は幕となりました。短い時間ではありますが、とても充実した内容だったと思います。

 

 演奏会が終わった後にも、書きたいことがまだまだあるので、とりあえず演奏会が終わったところで「その2」を括ります。

 「その3」も引き続き乞うご期待(╹◡╹)

海上自衛隊東京音楽隊の水曜コンサート2018(その1)

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 昨日(2018年9月12日)、国際新赤坂ビルの中庭において、毎年恒例となっている海上自衛隊東京音楽隊のランチタイムコンサート(水曜コンサート)が行われました。私も休暇を頂き、会場まで行ってまいりました。

 昨年の9月に56回定例で初めて東音のコンサートを聴かせていただいて以来、ずっと落選続きで不遇をかこっていた私ですが、今年の7月以降、突然コンサートづき初め、三宅由佳莉さんが歌われるのを目の前で何度も拝見する機会を得ました。

 でも、ランチタイムコンサートは、初めての野外演奏会ですし、色々と勝手が違うと伺っていました。また、演奏の様子を撮影できる、ほとんど唯一のチャンスですから多くのカメラマンが撮影した動画をYouTubeにアップされます。そんなこともあり、今回のランチタイムは、とにかくコンサート会場や、集まるファンの皆様の様子、そして隊員の皆さんとの交流の様子などを、ちょっと引いた視点からざっくり眺めに行こうという腹づもりでした。その辺は先日の記事にも書いたとおりです。

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 そんなこともあり、私のリュックサックの中には、スマホの充電キット、演奏会用のメモ帳、寒さ対策のカーディガン、そして昼食用のサンドイッチとコーヒー。それだけでした。

 赤坂駅の改札を抜け、5b出口へ向かいます。

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 すでに吹奏楽の音が鳴り響いています。そこを出たらもう会場なのかな?

 ここから先は動画をどうぞ(╹◡╹)

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 着いたのは10時15分頃でしたが、既にリハーサルは終わり、一部の隊員の方々がそれぞれのパート練習をされている状態でした。いかづちさんは私より少し前に会場入りされておりましたし、斎藤さんはずっと早く到着され、9時半からのリハーサルもご覧になったとのこと。さらに、フリーだった三宅さんともお話しする時間があったとのことでした。ちょっと出遅れたか(≧∀≦) でも今回はこんな感じでいいや。

 斎藤さんが「持ってきました?」と聞くので、「何をですか?」と聞き返すと、バッグからサイン用の小型色紙を取り出し「これ」と仰るので、「いいえ」と自信たっぷりに答えると、「今はコンサート会場でのお見送りがなくなっちゃったんだから、今日しかチャンスないよ」と、ちょっと呆れ顔で返されました。そんなこと全く期待も想定もしていなかったので、面食らいました。

 斎藤さんが、バッグから普通サイズのサイン色紙を取り出し、「最初だから、こっちがいいよ」と、当然のような顔でそれを私にくださったのです。斎藤さんはいつ三宅さんに遭遇しても対応できるように、いろんなものを常に持ち歩いておられます。そして、優しいんです。つい甘えることにしました。

 一方、いかづちさんは色紙も3種類のサインペンも準備されていました。それだけでなく、「プランB」を準備されていました。「プランB」とは何か。ご説明しましょう。

 私が読者登録させていただいている札幌の「バリピル宇宙」さんが、先般描いてくださった、三宅由佳莉さんの最新のイラストをA4サイズでプリントアウトして、それを三宅由佳莉さんご本人に手持ちして頂き、その様子を撮影して、私のブログに掲載するという画期的なプランです。うん、素晴らしい、さすがだ(╹◡╹)

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 でも、何故「プランB」なのか。「プランA」はどうした?

 実は、「プランA」は、世界征服を企むという内容だったので却下しました。なんの事やらわからないと思いますので、興味のある方は記事冒頭にリンクを貼った記事のコメント欄をお読みください。バカバカしいので読まない方がいいと思います(≧∀≦)

 こうなると、当初の目論見と心持ちが俄然変わってきます。なんとか三宅さんにご挨拶しよう、できればサインも頂こうという気持ちがむくむくと湧いてきます。

 とはいえ、それは三宅さん次第、いいタイミングでコンタクトできればの話です。

 会場には、少しづつ人が増え始めています。

 立派なカメラを設置している方が何人かおられますので、やはり演奏会の動画はすぐに上がるでしょう。

 控え室があると思われる西館の中から、三々五々、隊員のみなさんが駅への通路の方向へ向かい始めました。どうやら東館との間にレストラン街があるらしいので、そこへ食事に向かっているようです。演奏会が始まる前に食事を済ませるということですね。

 私たち3人は立ったまま談笑していたのですが、ふと見ると、三宅由佳莉さんが何人か連れで普通に数メートル先を歩いています。思わず「こんにちは!」とご挨拶するとこちらを向いてにっこり、斎藤さんには手も振って行かれました。

 なんて爽やかなんだろう(╹◡╹) そして、ランチタイムコンサートのなんとも言えないカジュアルな雰囲気がとても気に入りました。始まってもいないのに(≧∀≦)

 というか、こういう開演前の雰囲気とか、隊員の皆さんとの距離の近さだとか、そういった全てのことをひっくるめて、ランチタイムコンサートなんだな、と思いました。

 私たちも、それぞれ持参した軽食を取ることにし、ステージに向かって右前方に置かれたベンチに腰掛けて、いただきました。食べていると、食事を終えたのか、フルート奏者の目黒渚さんたちが戻ってくるのが見えました。私たちのベンチの後ろを通って控え室に入られるのでしょう。

 すると、私たちの向かい側、つまりステージに向かって左前方側から色紙を手にした女性がスタスタとこちらへ向かって歩いてきます。そして、私たちの座るベンチの左側を通り後方へ。そこへちょうど通りかかった目黒渚さんをインターセプトし、ご挨拶をしてサインをいただいています。なるほど、今こそが絶好のチャンスなのだと思い、私たちも、三宅さんをベンチの後ろで捕捉すべく、色紙やサインペンの準備をして待ちました。

 あ、三宅さんグループが戻ってこられるのが見えます。いよいよだな、と互いに目配せしながら待ち、ふと三宅さんの方を見ると、なんと、50メートルくらい先で、すでにインターセプトされているではありませんか。

 これはまずい(≧∀≦) ここで待っていても無駄だ。あそこに行かなければ。ということで私たちは、インターセプトの現場に向かいます。まだ、会場内の皆さんはあまり気づいておられなかったため、私といかづちさんは、確か4番目、5番目くらいに並ぶことができたのですが、その直後に大勢の人が次々と列に並ぶことになりました。

 この会場に来るまで、全く想定していなかった展開になってます。

 目の前に、にこやかにファンの方と談笑する三宅由佳莉さんがおられ、ちょっと順番を待てば、直接ご挨拶ができる段取りになっているのです。自分でも、その展開がまだよく飲み込めないうちに事態だけが進んでいます。おーい、大丈夫か。

 最初の方のご挨拶が終わり、2番目の女性が、持参した三宅さんのCD4枚くらいにそれぞれサインをいただいています。ジャケットの色合いがそれぞれ異なりますので、その女性ファンの方と一枚一枚、何色のサインペンを使うかとか、どの辺にどのようにサインするか、日付はどうするか、など丁寧に応対されています。三宅さんのこのようなシーンはもちろん始めて拝見するのですが、本当に細やかな気遣いをされる方なんだなと関心するばかりでした。

 そして、ついに私と三宅由佳莉さんの間には誰もいなくなりました。

 「海上自衛隊OBの〇〇です」と、まっすぐ三宅さんの目を見ながら自己紹介しました、そこまでは上出来ですし、自分でもよく覚えています。でも、そのあと何を言ったのかさっぱりです(≧∀≦) 気づいたら色紙にサインを書いていただいていました。

 皆さん、これがそのサインなんです。本物です。合成じゃないです。

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 このサインを掲げて、一緒に写真も撮らせて頂きました。

 三宅由佳莉さん、ありがとうございました。

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 全く信じられない展開ですが、全ては斎藤さんの「持ってきました?」から始まったことです。斎藤さんありがとうございます。

「叩けよされば開かれん」は今回も活きていました。

 そして「プランB」です。

 いかづちさんも、サインを頂き、プランBをお願いしたところ、快諾いただきました。その写真がこれです。

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 バリピルさん、「プランB」いただきました(╹◡╹)

 三宅由佳莉さん、お礼の言葉もございません。本当にありがとうございます。

 今回の演奏会では、演奏以外の部分で書くことがたくさんあります。ありすぎて1本の記事では書ききれないので、とりあえず、第1段をここまでとさせていただきます。

 次回も乞うご期待。

進出中‼️

東急東横線の急行小手指行きで都心に向かっています。平日のこの時間帯に電車に乗ることはないので、ギュウギュウ詰めとまではいかない乗車率が、ちょっとだけ心地いいです(╹◡╹)

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混んでるのは変わらないですけど、スマホで記事書けるくらいの余裕があります(╹◡╹)

まもなく中目黒、この先渋谷を経由して明治神宮前で千代田線に乗り換えれば、赤坂はすぐです。

 

今日は赤坂に行ってきます

 今日は、赤坂へ向かいます。

 海上自衛隊東京音楽隊のランチタイムコンサートが、赤坂見附にある国際新赤坂ビルの中庭(というのかな?)で行われるからです。

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 このビルは、東館・西館のツインビルになっており、その間の広場が会場になっているのです。陸海空自衛隊の音楽隊ののほか、在日米軍やその他の団体が持ち回りで演奏をしており、東京音楽隊も、毎年この時期にスケジュールアップされています。

 水曜コンサートはこの国際新赤坂ビル、そして木曜コンサートは新宿三井ビル55広場での開催が定例化していますね。

 本日の会場である国際新赤坂ビルは、港区赤坂4丁目に所在します。

 現在、防衛省は新宿区市ヶ谷本村町に置かれていますが、20年ほど前までは、やはり赤坂9丁目の桧町にありました。現在東京ミッドタウンとして生まれ変わっていますが、あそこに、防衛庁(当時)があったのです。

 華やかな六本木にあって、夜になるとやけに暗い一角がそれでした(≧∀≦)

 ということで、当時の防衛庁の職員にとっては、赤坂4丁目くらいなら、ランチをしに行けない距離でもなかった程度のご近所です。

 2011年、東日本大震災の発災後、当時統合幕僚監部に勤めていた私は、首相官邸地下のオペレーションルームの連絡幹部として1日おきに24時間当直に当たっていました。当時は自衛隊の車両も不足していたため、当直明けに人員送りの定期マイクロバスを逃がしてしまえば、自力で防衛省まで帰らなくてはなりませんでした。

 私は大抵徒歩で戻りましたが、毎回同じルートではつまらないので、色々な道筋を歩きました。ある日、国際新赤坂ビルの脇を通ると、吹奏楽の音色が聞こえてきたため、広場を覗き込むと、陸上自衛隊の音楽隊が演奏をしていました。

 こんなところで自衛隊の音楽隊が演奏してるんだ、と驚きました。

 私がランチタイムコンサートを初めてみたのは、実はこの時だったのですが、これが東京音楽隊の演奏だったら、逸話としては上出来だったのですけど、そうは問屋が下ろしてくれないということですね(≧∀≦)

 さて、本日のランチタイムコンサート。東京音楽隊のコンサートを見るのは初めてです、期待を胸に会場に向かいたいと思います。

 

明日はまたしても・・・

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 昨日、小田原公演の報告をしたばかりですが、明日、明後日と、またしても東京音楽隊の演奏会が行われます。恒例のランチタイムコンサートです。

 明日の水曜日は、国際新赤坂ビルの前庭?のようなところが会場です。

 露天会場ですので、東京音楽隊のコンサート予定には「雨天中止」と、予め赤字で大きくお断りが入っています(≧∀≦)

 いかづちさん情報では、なんとか天気は持ちそうだということですので、きっと東京音楽隊の演奏を楽しむことができるのではないでしょうか。

 ランチタイムコンサートは、昼休みのひとときを音楽とともに過ごしてもらおうという趣旨であるため、12時10分(海自式には「ひとふたひとまる」)から12時50分(同「ひとふたごーまる」)までの40分間という短い時間ですが、毎年大勢のファンが集まるようです。昨年などは雨天中止の可能性が高かったにも関わらず大変な盛況だったと聞きました。

 私も、明日の水曜コンサートに足を運ぶ予定です。

 東京音楽隊が野外で演奏する機会は限られているため、演奏の様子を撮影する絶好のチャンスです。ですから、多くの方が撮影し、YouTubeに動画をアップしてくださるので、当日会場に行けなかった人でも演奏を楽しむことができます。

 ですから、明日の演奏会についてのレポートで、私は演奏内容についてではなく、それ以外のこと、つまり会場のこと、集まっている皆さんのこと、東京音楽隊の隊員の皆さんとファンの皆様の交流の様子などを書いてみたいと思っています。

 先ほど、演奏時間がわずか40分と書きましたが、この40分のために、東京音楽隊の皆さんが費やしている時間がどれほどなのかは計り知れません。少なくとも用賀から進出して会場を設え、リハーサルを行い、本番に臨む、それだけでも本公演の7〜8倍の時間がかかります。そのような、全ての努力の結晶が40分の演奏なのだということを忘れてはならないと思います。

 明日が楽しみです(╹◡╹)