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三宅由佳莉さんの出会い・・・ハープ奏者にして天才的MCの荒木美佳さん

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 「三宅由佳莉さんの出会い・・・」シリーズも、4回目になりました。今回は、東京音楽隊のハープ奏者、荒木美佳さんを取り上げてみたいと思います。

 荒木美佳さんと言えば、ハープ奏者としての人気もさることながら、今や東京音楽隊の顔とも言うべき名MCとして大変注目されていますよね。

 三宅由佳莉さんとは、また一味違ったスター性とでも言いましょうか、人を惹きつける魅力に溢れた方だと思います。

 5歳の頃にハープを始められたそうなのですが、普通、5歳までにハープに出会うなどということは、まずありませんよね。ご家族のどなたかがハープ奏者で、自宅にハープがあるような環境で育たれたのではないでしょうか。お嬢様なんですね(╹◡╹)

 荒木さんは、2002年、「第14回日本ハープコンクール」のジュニア部門で優勝されましたが、この時中学1年生です。何だか凄いですよね。自分が中一だった頃のアホさ加減とつい比較してしまいます(≧∀≦)

 歴代優勝者の掲載されたページがありますので、ご覧になってください。

www.harp-japan.com

 2005年4月、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進まれた荒木美佳さんは、将来音楽家として歩むことを夢見ながら毎日を過ごされていたのではないでしょうか。自分が海上自衛官になるなど、夢にも思わなかったことでしょう。

 これは、音楽高校3年生の時に開催した、ピアノとのジョイントコンサートのポスターです。大人びた雰囲気を精一杯作っている、とても初々しい荒木さんが可愛らしく、微笑ましいです。

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 学業の傍ら、このような自主活動を積極的に行うのは、知名度を獲得したり場数を踏むということだけでなく、音楽家演奏家としての活動が、多くの人に支えられていることを、身をもって知るという意味があるのではないかと思います。そういった経験が、現在の荒木美佳さんの演奏や、何とも言えない人間味溢れるMCによく現れているのではないでしょうか。

 2008年4月、附属高校から、東京藝術大学音楽学部に進学された荒木美佳さんは、高校生の頃とは違った幅広い活動を通じて、音楽家としての、そして魅力溢れる女性としての基礎を築いていかれたのでしょう。

 大学時代の自主活動のポスターです。ここに写っている荒木さんは、高校生の時とはガラリと雰囲気が変わり、芯のある大人の女性というイメージですね。

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 さて、荒木美佳さんは、どうして海上自衛隊への入隊を決めたのでしょう。もちろん、就活中に東京音楽隊からハープ奏者の募集が掛かったというタイミングの問題でもあるとは思いますが、それだけでしょうか。

 荒木さんの入隊は2012年ですから、採用試験が行われたのは2011年です。そこからちょっと考えて見たいと思います。

 ここからは私の想像です。でも、そうであって欲しいとの願いを込めた想像です。

 荒木さんが大学3年を終えようとしていた時に発生した東日本大震災。未曾有の被害状況に衝撃を受けたことでしょう。そしてまた、従来になくマスコミが自衛隊の活躍を曲げずに伝えたことで、自衛隊というものに対する興味を持たれたのではないでしょうか。そのタイミングで、海上自衛隊東京音楽隊からハープ奏者の募集がかかったわけですから、荒木さんの関心を引いたことと思います。

 とは言え、音楽家を目指している方々にしてみれば、「自衛隊ってどうよ」、という感じですよね。きっと、荒木さんもどうしようか迷いながら、2011年9月に海上自衛官の採用試験(筆記試験)を受けられたのでしょう。あとは10月の職種説明会です。職種説明会と聞くと音楽隊のことについて説明してくれるようなイメージですが、なんと、実態は「実技試験」です。

 おそらく、音楽枠で筆記試験に合格した方々は、職種説明会に先立ち、この年の10月6日に、すみだトリフォニーホールで行われた定例演奏会に招待されたのではないかと思います。この演奏会こそ、三宅由佳莉さんの代表曲である「祈り〜a prayer」の初演演奏会でした。

 荒木美佳さんは、三宅由佳莉さんが魂を込めて歌い上げるこの曲をライブで聴き、心を揺さぶられたのではないでしょうか。そして、自分もこの類い稀な演奏集団の一員になりたいと思われたのではないでしょうか。

 単なる私の想像(妄想?)に過ぎませんが、きっとそうだったに違いないと思うことにしています。

 そんな荒木さんのハープ演奏は、なかなか聞くことができません。オーケストラ演奏ではパートのサウンドを楽しむのは困難ですし、そうでなくても自衛隊音楽まつりで「行進曲軍艦」を爪弾いたり、ニコ超音楽祭で「ファイナルファンタジー」のテーマを奏でたりと、三宅さん同様、何にでも挑戦するソロパートなのです。

 そんな荒木さんのハープ演奏をじっくり楽しめる動画がありましたので、下にリンクを貼ります。これは、2013年12月6日(金)、千葉県松戸市の「森のホール21で行われた、東京音楽隊第49回定例演奏会(クリスマスコンサート)開演前のウェルカムコンサートでの演奏です。岩田有可里さんのコントラバスとの「雅」というデュオ・ユニットです。こういう渋いユニットを隠し球のように持っているのが自衛隊音楽隊の魅力の一つです。陸海空ともにです。

 なお、ハープとコントラバスのデュオは、陸海空の全音楽隊の中でも、東京音楽隊にしかないスペシャルユニットだそうです。

www.youtube.com

 いつか、荒木さんのハープをフィーチャーした演奏会などが行われるといいなと思います。人気ありますしね、きっと実現するんじゃないでしょうか。

(2018年12月14日にすみだトリフォニーホールで開催された第59回定例演奏会で、荒木美佳さんのハープソロが披露されました。詳しくは末尾の追記欄をご覧ください。)

 

 さあ、荒木美佳さんのもう一つの顔と言えばMCですよね。

 タイトルに「天才的MC」と書きましたけど、全然大げさじゃないんです。

 まず、声質です。聴く者に心地良さを感じさせると同時に、適度な緊張感を保たせるような、何とも絶妙な声質です。努力でどうこうできるものでもないのですから、天賦の才と言って良いでしょう。

 MCのナラティブは、荒木さんが起案して最終的には隊長の、場合によっては海幕長の承認を得ているものだと思いますが、いつも思うのは、流れるような美しい日本語で書かれているなぁということと、読み上げるときの感情の込め方、引き方が非常に上手だなということです。

 それだけであれば、努力で何とかできるかも知れません。でも、数々のMCを見ていて思うのですが、荒木美佳さんは、ライブで生じる大小様々な「トラブル」に実に絶妙な対応をされながら演奏会を進行しています。多分、頭で考えているのではなく、考える前に結論が先に走っているのではないでしょうか。ご自分でも、何か対処したという意識はないのかも知れませんね。そんな風に見えます。

 また、来場している聴衆の様子や反応を見て、瞬時にMCのトーンを変化させて会場を盛り上げていく力量も、すごいと思います。

 このようなことは、努力だけではなかなか難しいですよね。だからこそ「天才的」なんです。

 下の動画は、荒木さんのMCの様子を継時的に編集してみたものです。演奏会の性質に合わせたMCトーンの違いがよくわかります。また、最初に出てくる「東郷の杜音楽祭」のMCなどは、MCパートだけで一つの作品になりそうです。

www.youtube.com

 荒木美佳さんは、今や東京音楽隊にとって欠くことのできない存在となっており、東京音楽隊の人気の秘密の一つにもなっています。そのようなスペシャルな人材が、不思議なことに時を同じくして東京音楽隊に集っていることが、私を驚かせ、そして感動させるのです。

 私のブログを読んでくださっている三宅由佳莉さんのファンの皆様は、それを「必然」と捉えてらっしゃいます。つまり、東京音楽隊は、今大きな天命を受けているという認識なのでしょう。

 そうなのかも知れません。そして、それは着実に遂行されつつあるように思えます。

 

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【2018年12月17日 追記】

 2018年12月14日、すみだトリフォニーホールで開催された、東京音楽隊の第59回定例演奏会で、荒木美佳さんのハープソロ演奏が披露されました。私は幸運にも、会場でこの演奏を拝聴することができました。その時の感動を記事に残してありますので、是非お読みください。

www.capitandiaryblog.com

 

【2019年11月30日 追記】

 2019年自衛隊音楽まつりのリハーサル(11月29日)で荒木美佳さんは前口上を勤められ、ハープのソロ演奏を披露されました。動画をご覧ください。

www.youtube.com

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「出会い」シリーズの全記事

retcapt1501.hatenablog.com

 

三宅由佳莉さんの、ただ者ではないところ

 

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 昨日の「全ての方へ」を書きながら思い出したことがあります。今回はそのことを書いてみたいと思います。

 昨年の11月に「三宅由佳莉さんの行く末」という記事を書きました。

 音楽まつりでの三宅さんの扱いが不当に小さく思え、どうにも収まりがつかなかったので、そのモヤモヤをぶつけるような記事でした。若気の至りです(若くないですけど)。

retcapt1501.hatenablog.com

 でも、なんとなく、三宅さんの環境に変化が生じるのではないかとの予感のようなものを感じていたのは確かなのです。

 もちろん、私の勝手な思い込みなのですが、そんな思い込みが、記事を読んでくださっている方々にも少なからず伝染してしまったのではないでしょうか。

 「何かありそうで、なんとなく不安だよね」

 そんな基調ができてしまったような気がします。

 そのような不安の底流を抱えたまま年が明けましたが、根拠もない不安に振り回されていても仕方ないので、心機一転、新たな気持ちで三宅さんを応援していこうという気持ちになりました。

 そこで、今年の予定や注目点をまとめた記事を書いてみたりもしました。

 2月に入り、「三宅由佳莉さんの人となり(2)分析編」という記事で、いろいろな占いを通じて三宅由佳莉さんの人物像を描き出すことを試みました。

 占いというものは、「信じるも信じないも、あなた次第」という面はありますが、基本的に膨大な統計データに基づいているため、一つの指標としては意味のあるものだと思っています。

retcapt1501.hatenablog.com

 ところが調べてみると、一つの指標どころか、各種占いが描き出す人物像は、まさに私たちが思い描く三宅由佳莉さんそのものに思えたため、大変驚くと同時に、やっぱり、そういう人となりなんだろうなぁと納得したのでした。

 もちろん、あくまでも「占い」に過ぎないのですが、星座占いでは、

太陽星座が射手座の女性は、自由であることを誰よりも望みます。少しでも束縛されると、途端に現状を放り出し新しい場所へと旅立ってしまいます。精神的なものに価値を置くので、物品にはそれほど執着しません。

 また、数秘占いでは、

運命数が5の女性はアクティブに行動します。いくつになってもその行動力は衰えるところを知りません。実年齢よりもずっと若々しい雰囲気を発していくことでしょう。自由が大好きで、変化を厭わないのですが、ひとところに落ち着けないという欠点もあります。

 と、いかにも三宅さんらしい姿を描きつつも、私たちが心配していたことが、心配としてはちゃんと残るところが、「ただ者じゃない」と感じたのでした。

 何と言いますが、このようなことも含め、本当に三宅由佳莉さんは、「持っている」方だなぁと感心もしましたし、また応援のし甲斐のある方だと改めて思ったのでした。

 

 当初、この記事の後半には別の内容が書かれていたのですが、「kaiten91」さんからの適切なご指摘をいただき、再構成させていただきました。「kaiten91」さん、心より感謝いたします。

三宅由佳莉さんの「全ての方へ」

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 私はtwitterをやらないのですが、ネット上を彷徨っていると、三宅由佳莉さんに関する呟きによく出会います。

 その中に、以前からとても気になっているものがあるんです。

 古くからのファンの方々は、その背景がお分かりなのかもしれませんが、私にはただただ気になる呟きなのです。

 2016年8月13日付の、ある方の呟きに掲載された、三宅由佳莉さんのツイートです。

 

全ての方へ

私を支えてくださる全ての方、
私に力をくださる全ての方、
私を笑顔にしてくださる全ての方、
本当にありがとうございます。

 

 最初にこれを見たとき、なんと言うか、不協和音を聴くときの胸騒ぎのような、例えようもない心持ちに襲われました。

 文面は確かに、自分を支え、力を与え、笑顔にしてくれる「全ての方」への感謝のメッセージという形をとっていますし、調和の取れた詩のようなリズミカルな文体です。

 でも、その見た目とは裏腹に、これを書いたであろう三宅由佳莉さんの心に、言いようのない、悲しみにも似た孤独感が見て取れた気がしたからです。

 一体何が、三宅由佳莉さんにこれを書かせたのでしょう。

 これが書かれたのは、みなとみらい大ホールで行われた第54回定例演奏会の直後のことです。手塚前隊長の振り納めとなった演奏会です。何か関係があるのでしょうか。

 この話題は、書くことをずっと躊躇ってきました。

 私のブログは、様々な障害を乗り越え、いつも笑顔で溌剌と活躍されている三宅由佳莉さんを応援するというスタンスできましたので、この話題をどう扱って良いのか迷いがあったということもありますし、三宅さんのプライベートな部分に踏み込み過ぎるのではないかという逡巡もあったからです。

 でも、昨日の「七変化」で、私の思い過ごしとして書いた「痩せ過ぎ問題」が、旧来のファンの皆様の間では、現実の問題として語られていることを、「kaiten91」さんのコメントで知り、三宅由佳莉さんのことを心配するのはファンとして当たり前のことではないかと思うに至りました。

 それに、このブログは、三宅由佳莉さんを応援するファンの皆様と心を分かち合いたいとの思いで運営しているのですから、いつも笑顔を絶やさない元気な三宅さんのことばかり書いていたのでは、片手落ちというものではないかとも思うのです。

 

 応援もしたいけど、心配もしたいんだ。

 

 そんな風に、素直な気持ちで記事を書いて行けばいいんじゃないかと思ったのです。

三宅由佳莉さんの七変化

 今回は、三宅由佳莉さんの七変化(しちへんげ)です。

 何ゆえ、こんな記事を書くのかと不思議に思われる方が多いかもしれませんが、中には「だよね」と思われる方もおられるのではないでしょうか。

 私は、昨年の6月頃から三宅由佳莉さんのファンになったのですが、その頃、たくさんの写真や動画を見ていて、「あれ?」とか「おや?」と思うことがよくありました。

 何というか、見るたびに別人のように印象が違うので、自分の中に三宅由佳莉さんのイメージを作り上げるのに随分と時間を要しました。

 何年分もの、「初めまして」の写真や動画をいっぺんに、しかも、時系列など御構いなしにランダムに視聴するわけですから、当然と言えば当然かもしれません。

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 上の写真を見て、今はもちろん、どれも三宅さんだとすぐにわかりますが、成り立てファンの頃には、「はて?」と思うことがよくありました。

 まぁ、それだけ表情豊かだということもあるのでしょうけど、それだけではないような気もします。

 特に、昨年の三宅さんは、ちょっと痩せ過ぎだったような気がしたので、そんなことも、三宅由佳莉さんの外見のイメージを把握する上でマイナスに作用したのかもしれません。

 さて、その痩せ過ぎ問題です。

 そんな問題は別に誰も指摘していませんので、私が勝手に作っていた問題なのですが、とにかく、昨年遅れ馳せに参戦してみて、「あれ?今の三宅さんは、動画や写真で見る三宅さんとは全然違うな」と感じ、よく見ると「あ、痩せちゃったんだ」と思ったのでした。それにしても、痩せ過ぎかな、と。

 そういうわけで、私の中では「痩せ過ぎ問題」だったのです。

 ところが、昨年の秋頃からのコンサートでは、三宅さんは「痩せ過ぎてない」のです。何故なのかと思い、よく見ると、髪型が原因のようです。

 昨年の前半は髪を伸ばしていたので、演奏の際には後ろでアップにまとめていましたよね。だからなんだと思いますが、頭が小さく、顔が細く見えたんだと思います。

 先般のニコニコ超音楽祭に出演した三宅さんは、本当に健康的な魅力に溢れていましたよね。

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 今回この記事を書いたのは、三宅由佳莉さんのファンになりたての頃に感じた三宅さんの七変化ぶりを思い出したのと、そんな風に感じていたことを記録しておきたいと思ったからでした。

 でも、上のコラージュのように写真を並べてみると、また気づかされることもありますね。それらについて、また、記事を改めて書いてみようと思います。

  

 

 

三宅由佳莉さんの優等賞

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 本題に入る前に、報告です。PCアカウント復旧しました。「1」さんからのコメントに助けられ、必ずログインできるはずだと信じて取り組んだ結果、入れました。「1」さんありがとうございます。

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 本題です。

 以前、「三宅由佳莉さんの肩章」という記事で、三宅由佳莉さんが肩章付きの制服の着こなしを変えたのは、タイミング的にみて、初級海曹課程での教育がきっかけかもしれない、と書いた際、kaiten91さんから頂いたコメントに

入隊時からの三宅さんを見ていた古参のファンの方から、教育隊で三宅さんが優良もしくは優等の成績を修められていると伺いました。

とありました。

 三宅由佳莉さんが受賞されたのは「優等賞」だと思います。

 各教育課程が終了する際に、特に優秀な学生(教育課程に入校中の隊員は、「学生」と呼ばれます)に与えられる名誉です。

 必ず誰かが貰えるというものでもなく、「該当者なし」となる場合もあります。何故かと言えば、学業成績が良いだけで授与されるわけではないからです。

 学業成績に加え、気力、体力、更には、同期をまとめるリーダーシップ、端正な服装容儀、キビキビとした挙措動作、礼節など、自衛官に必要とされる資質が全人格的に評価されるのです。

 どうでしょうか、上に列挙したいずれの項目も、三宅由佳莉さんの優れた点として、各方面から高く評価されているものばかりではありませんか?

 だから、三宅由佳莉さんが教育課程で「優等賞」を取るのは当然?

 そうではないと思います。

 三宅さんが高い資質に恵まれているという面は確かにあるかも知れませんが、資質に恵まれた隊員なら他にいくらでもいます。

 教育課程においては、入校学生の中から、入隊以来の勤務成績が優秀な者を「学生長」に指名します。ですから、学生長は、優等賞の最有力候補であり、ヒラの学生が優等賞を取るのは至難の技なのです。

 三宅由佳莉さんが学生長であったかどうか、それはわかりませんが、いずれにしても「優等賞」を授与されたことがいかに凄いことであるかご説明しましょう。

 三宅さんが入校された初級海曹課程は、全職種が対象の、所謂「義務教育」です。そのような共通課程の場合、全人格的評価で比較すれば、戦闘職種の隊員が学生長に指名されるケースが圧倒的に多いですし、ある意味当然のことだとも言えます。

 ですから、仮に三宅由佳莉さんが学生長に指名されていたのなら、入隊以来の勤務成績がどれだけ凄いのかということです。

 他方、ヒラの学生だったとするならば、課程教育での成績がズバ抜けて優秀だったと言うことですが、学業だけなら入校中だけ頑張れば良いでしょうけど、その他の項目は、とても付け焼き刃で達成できるものではありません。

 平素の弛まぬ努力なくして、そのようなレベルにあることはできないのです。

 戦闘職種以外の小職域の隊員が、「義務教育」で「優等賞」を取ることの凄さがお分かりいただけたでしょうか。

 三宅由佳莉さんは、歌手としてだけでなく、自衛官としても一流であるということです。

 ほんとうに......

 どんなエピソードに触れても、その規格外の展開に驚かされてばかりですが、それらを、なんでもないことのように、涼しい顔でやってのけるのが、三宅由佳莉さんという天下の「大役者」なのです。

 次はどうやって驚かせてくれるのか、心の準備をしながら待ちたいと思います。

    

三宅由佳莉さんの記事はどうした?

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  このところ、「三宅由佳莉さんの...」シリーズをお休みしていました。

    勿論、書くのをやめたわけではありません。

    病床の父を見舞うため家を空けていたのでPCが使えませんし、そもそも現在PC上のはてなブログアカウントを失った状態にあるのですが、編集機能に制限のあるスマホアプリで、三宅由佳莉さんのシリーズを書くことが憚られたからです。

    でも、復旧の目処が立たないので、スマホアプリで投稿を再開します。

    ただ、スマホアプリにも、危うい兆候が出てきており、既に昨日からこのアカウントでコメントを書くことが時々できなくなったりしています。ですから、程なくこのアカウントでの記事投稿ができなくなることが予想されます。

   その場合には別のアカウントを立てて投稿を続けますので、探していただけると幸いです。

 

    さて、「三宅由佳莉さんの...」シリーズをお休みしたのは、わずか四日に過ぎませんが、とても長い間書いていないような感覚に襲われます。

    それほど、三宅さんのことを書くことは、私にとって生活の一部、人生の一部になっているのだと思います。

    「三宅由佳莉さんの...」シリーズの記事は、既に120本を超えていますが、読者の皆様からのコメントが、また新たな記事のヒントになり、ネタが尽きることがありません。

    三宅由佳莉さんのことを書くことは、勿論、私の心を満たしてくれる喜びなのですが、同時に、三宅由佳莉さんとは一体どのような存在なのかについて明らかにしていくプロセスでもあるような気がしています。

    広報演奏や諸外国の軍楽隊との交流を通じ、その必要性を認識されたことで 、採用が決まった東京音楽隊のボーカリストですが、全く想定もしていなかった、三宅由佳莉さんの大ブレイクは、東京音楽隊はもちろん、海上自衛隊への国民の強い関心を呼び覚ましました。

    それはそれで嬉しい誤算ではあったでしょうが、戦闘集団である海上自衛隊には、この前代未聞の事態に適切に対応するノウハウはなかった筈です。

    私は広報の現場にいたわけではありませんから、想像の域を出ませんが、三宅由佳莉さんの予想をはるかに超えるブレイクは、広報現場に大混乱をもたらしたに違いないと思います。

   ネット上に残された様々な過去ログを見ていきますと、そんな大混乱を彷彿とさせる書き込みに出会うことがあります。

   社会現象ともいうべき事態が遥かに先行し、海上自衛隊の広報戦略はその後を追う形にならざるを得なかったのではないでしょうか。

    現在に至ってもなお、三宅由佳莉さんという稀有な存在について、正確に位置付ける言葉を海上自衛隊ですら持ち得ていないのではないかと思われます。

   そんな三宅由佳莉さんの登場が、我々の社会にもたらした影響を理解し、その社会的意義について明らかにしていくこともまた、私の喜びとするところであります。

    そういう意味でも、ようやく軌道に乗り、多くの皆様に読んで頂けるようになり始めたこの段階で、愛着のあるこのアカウントが危機に瀕していることが残念でなりません(≧∀≦)

父に伝えたかったこと

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  この連休の後半は、ひと月ほど前に高熱を出して緊急入院した高齢の父の容体が思わしくないとのことで、実家に身を寄せつつ、父を病室に見舞う毎日でした。

   今日明日どうなるという状態ではありませんが、そう長いことはないでしょう。

    容体が思わしくないと聞き、飛行機のチケットが取りにくいGW中に急遽帰省したのは、父の意識が清明であるうちに伝えたいことがあったからです。

    少年時代を東京都品川区の大崎で過ごした父は、大東亜戦争中、米軍による東京大空襲を生身で体験しています。私が子供の頃には、隣家が爆弾の直撃を受けたことや焼夷弾の雨のなか逃げ惑った話などをよく聞かせてくれました。この辺の話は、いずれ別記事で詳しく書いてみようと思っています。

    そんな父は、母に言わせると、ロクでもない亭主らしいのですが(笑)、息子から見ると、大変厳しくはありましたが、人としてどう生きるべきか、社会とどう向き合うべきかを教えてくれた存在でした。

    私がまだ小学生だった1972年の2月に浅間山荘事件が起きました。

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    銃で武装した極左テロ集団「連合赤軍」が、軽井沢にあった某社の保養所「浅間山荘」に人質を取って立て篭もり、警官隊との10日間にわたる攻防戦の末、全員が逮捕された事件です。人質も全員無事でしたが、警官隊は2名の殉職者を出しています。

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    衝撃的な事件であり、テレビは連日、朝から晩まで現場からの中継を続け、日本中が画面に釘付けになりました。この間、各家庭の在宅率が非常に高くなったため、空き巣狙いや交通事故の件数が減ったほどです。

    我が家でも、何度も家族全員でテレビを見ていたのだと思います。警官の一人がテロリストの狙撃により殉職されたあと、あるテロリストの母親が拡声機で投降を呼びかける場面がありました。現に殺人まで犯したテログループの息子に対し「ちゃん」付けで呼びかける様子に、子供心にも違和感を感じたのを覚えています。

「もし、お前たちがこんな事をしでかしたら」

     父が、大変厳しい表情で話し始めました。

 「俺は現場に行って、お前たちを殺す」

    私と弟は、固唾を飲んで聞いていました。

 「警官から銃を奪ってでも撃ち殺す」

    陸上自衛官だった父の言葉には妙な現実味がありました。

  「そして、俺も死ぬ」

   とても物騒な物言いにもかかわらず、聞いていた私は心が満たされるのを感じ、とても幸せな気分になりました。その時の心が膨れるような感覚は今でも鮮明に覚えています。

    何故そんなに幸せな気分になったのか、言葉ではうまく言えないのですが、自分の親が社会に対する責任というものを、そのように考えていることを知り、とても安心したこと、そして、「殺す」という言葉の裏に、「お前たちを信じてるぞ」という信頼を、そして「俺も死ぬ」という言葉に、「どんなことがあっても、お前たちを見捨てはしない」という深い愛情を感じ取ったからだと思います。

    そして、家族という極めてプライベートな空間においても、ここぞという時には「公の言葉」を使わなければならないということを学んだ気がします。

    このエピソードは、私の社会的人格形成に少なからぬ影響を与えましたが、今まで、誰にも話したことはありませんでした。

    今回、このことをきちんと父に伝えておきたいと思ったのは、人生の終末期を迎えつつある父が何を考えながら日々を過ごしているのだろうと想像してみたからです。

    考えることは様々あるでしょうけれど、一番の問題は、二度とやり直しのきかない自分の人生は、果たして意義あるものであったのだろうか、自分が成し得たことは何かあったのだろうか、ということではないかと思うのです。

    ですから、「頑張って長生きしてくれ」と言う代わりに、「親父の人生は十分意義のあるものだった。だから安心して逝ってくれ」と(勿論、言外にですが)伝えたかったのです。

    二人きりの病室で、父は黙って私の話を聞いてくれました。そして、ステロイドの使用で腫れぼったい目を細めながら「そんなことを、今まで覚えていてくれたのか。何より嬉しいことだ」と言って、すっかり筋力のなくなった皺だらけの手で、私の手を握りました。

    こんなことで、父が自分の人生を全肯定できるとは、到底思えません。ですが、息子が、自分の人生に大きな意義を認め、感謝していることだけは理解してもらうことができたのではないかと思いますし、そのことが、父が自分の人生に折り合いをつける助けになったことを信じたいと思います。

    私事にお付き合い頂き、ありがとうございました。